それは、また「新しい」バブルが始まったのである。
新たな「ESG、SDGsバブル」の始まり
リーマンショックで世界金融バブルが崩壊したが、その処理を先送りするために「量的金融緩和バブル」が世界中の金融市場を覆った。これが崩壊しそうになったときに、コロナショックが起き、世界的に限界を超えた金融緩和が行われた。さらに前代未聞の財政出動が行われ、コロナショックバブルが起きた。
このバブルが崩壊するのも時間の問題になった。そしてついに財政破綻から、1990年の社会主義諸国の市場経済化により始まった中期的なバブルにおける短期的なバブルの連鎖も持続不可能になり、バブルの大崩壊になることが確実になってきた。そこへ、最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである。
これまでの資本主義は限界を迎えた。しかし、それを捨てることはできないから、修正を行い持続可能にすることにした。それがESG、SDGsである。実質的には延命にすぎないが、名目的には持続可能な資本主義に修正して、永続的な資本主義の発展を目指すということである。
しかし、それは論理的にも現実的にも不可能だ。なぜか。
環境問題、資源問題の制約に直面してしまったため、脱炭素ということになっているが、炭素は最も効率的であったから使ってきたのであって、すぐに他の資源の制約に直面する。これがすでに直面している現実的な問題である。
水素を作るには電力を大量に必要とする。しかし、火力抜きの電力は世界的に不足している。エネルギー効率は悪い。だから、すぐに水素はうまくいかなくなる。太陽光というのも非常に効率の悪いシステムで、そもそも資源を大量に消費し、パネルを設置し、その接地面の土地は生態系的には有効に利用されない。しかも、そのパネルは持続性がないから、大量の廃棄物が出る。これをフィルムに置き換える技術が生まれているが、それでも資源効率、エネルギー効率は悪い。温暖化対策の決め手、避けては通れないのは、電力消費量を世界で大幅に削減することである。電力を生み出すために資源と環境に負担をかけているのだから、その根源である電力消費を激減させなければ問題は解決しようがない。本当は日本の出番だが、世界は日本を無視し、電力消費削減の必要性は軽視する。なぜか。
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