一流になる人、二流にとどまる人の決定的な違い 佐渡島庸平×澤円「仕事には「型」がある」
澤:一流こそ、基本の「型」がちゃんとしているっていうのはエンジニアも同じですね。
澤:エンジニアの型といえば、やっぱり美しいコードを書けること。美しいコードが書けるというのはつまり、誰に対しても説明可能な状態でコードが書けているということです。
なぜこうなっているのか、こうしているのか、理屈で説明して人に分かってもらえるくらいの知識とスキルがなければ、美しいコードは書けません。
「型」を放棄することの危険性
――なるほど。一方で、「型にはまる」が悪いイメージの言葉として使われるように、型を嫌がる人もいますよね。
佐渡島:そうですね。でも、型を放棄するのは本当に危険な行為ですよ。だって、自己流で今の自分にできることだけをやる方が、ずっと楽ですから。
自己流で仕事をすると、簡単にできた気になれるんです。自分と一流の人との間には雲泥の差があるのに、その差をじっくり観察することなく、同じ土俵にあえて立たないことで「できた気」になってしまう。
伝統芸能とかで考えてみてほしいんですけど、一流の日本舞踏家の動きを真似しろって言われても、そう簡単にはできませんよね。
真似ることすらできない、自分に何が足りないのかすらも分からない。そういう絶望から、できる人のことを観察し、真似をしながら型を習得することが始まる。
僕が見てきた限りでは、一流になる人はほとんどの場合、この絶望・観察・真似のプロセスを経験しています。
――これまで「型」を身に付けず、自己流を貫いて一流になったクリエイターは存在しないのでしょうか?
佐渡島:単発で成功した人はいますが、それはあくまで偶然です。
サクッと一発ホームランを打って新人賞を取るような漫画家って、絵やストーリーは確かにうまいのですが、「型」がないから応用ができないんです。
しかも、いきなり成功してしまったから、そこから「型」を学ぼうと努力することができない。そうやってクリエイターとしては短命に終わってしまう……なんていうケースもあるわけです。
でも、人生100年時代といわれる今、僕らは昔に比べると長い期間を働いていかなければいけない。そんなときに、たった一回のホームランが打てるだけじゃダメなんですよ。
むしろ、当たり前のことを、当たり前のように続けていける能力の方がよほど大事。