京阪5000系引退、通勤に活躍した「多扉車」の元祖 大量輸送時代の"申し子"が半世紀の歴史に幕

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そして、この多扉車という考えは平成に入って首都圏でも広まってゆく。京阪5000系から遅れること20年、1990年にJR東日本が山手線の混雑緩和を目的として、6扉車の運行を開始。同年には営団地下鉄(現:東京メトロ)も5扉車を導入し、後に東武鉄道や東急電鉄などにもお目見えした。ただし、京阪5000系はすべての車両が多扉車だったが、首都圏各社は基本的に編成中の一部車両のみとしている。

首都圏でもラッシュ時の混雑緩和に貢献した多扉車だったが、2010年代に入ると新たな問題が発生した。ホームドアの設置が求められるようになる一方、扉の位置が統一されていないと一般的な可動式ホーム柵への対応が難しいというもので、徐々に姿を消してゆく。

2020年春には、首都圏で最後まで残っていたJR中央・総武線各駅停車や東京メトロ日比谷線、東武伊勢崎線などの多扉車が相次いで引退。くしくも、多扉車の元祖である京阪5000系が、最後まで残る形となった。

京阪5000系もついに引退

その京阪でも、京橋駅へのホーム柵設置が決まったことから、5000系の廃車が2018年から本格的に始まった。2021年1月には、全廃に先立って5扉車としての運用を終了。昇降式座席は下りたままとなり、「ラッシュ用ドア」が開くこともなくなった。

京阪5000系は座席の後ろに扉があるのがユニークだった(撮影:伊原薫)

当初は2021年6月での引退がアナウンスされていたが、最終的には同年9月4日に最後の1編成が引退。日本から多扉車が姿を消した。新型コロナウイルス感染症の影響で、予定されていた記念イベントは大半が中止となってしまったが、引退時期の延長は、少しでも多くの人に最後の姿を見てもらいたいという、せめてものはなむけになったかもしれない。

冒頭で述べた2階建て車両と共に、殺人的とまで言われた通勤ラッシュの混雑を緩和し、日本の経済成長を陰で支えた多扉車。コロナ禍によって「通勤」の概念が大きく変わりつつある中、偶然にも同じタイミングで引退の時を迎えた。10年後、日本の鉄道のラッシュ輸送がどうなっているのかはわからないが、こうした個性的な車両はもう生まれてこないだろう。彼らの存在を、胸に刻んでおきたい。

伊原 薫 鉄道ライター

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いはら かおる / Kaoru Ihara

大阪府生まれ。京都大学交通政策研究ユニット・都市交通政策技術者。大阪在住の鉄道ライターとして、鉄道雑誌やWebなどで幅広く執筆するほか、講演やテレビ出演・監修なども行う。

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