京阪5000系引退、通勤に活躍した「多扉車」の元祖 大量輸送時代の"申し子"が半世紀の歴史に幕

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京阪5000系は、1970年も終わろうかという12月下旬に営業を開始した。この車両の最大の特徴は、長さ18.2mという、JRの通勤型電車(約19.5m)より短い車体に片側5つの客扉を設けた点である。

当時、日本は高度経済成長期の真っただ中。大都市圏の人口は増える一方で、鉄道各社はその対策に追われていた。京阪も、列車を増発し編成を長くするなど、さまざまな輸送力増強に努めたが、乗客増加のスピードはそれを上回っており、混雑はひどくなるばかり。何とか列車に乗り込もうという人々で、列車の遅れも激化していった。

一方で、複々線区間の延伸やさらに編成を伸ばすための架線電圧の昇圧といった抜本的な対策は、完成までに長い年月を要する。そこで京阪は完成までのつなぎとして、1両あたりの扉数を増やし、乗り降りをスムーズにするという策を考えついた。

“扉だらけ”の独特スタイル

こうして生まれたのが5000系である。換気上必要な窓の面積を確保するため、客扉の幅は1300mmから1200mmへとわずかに狭まったものの、片側3カ所から5カ所に増えたことで、側面は“扉だらけ”といった独特のスタイルになった。

京阪5000系の車内。扉の前に収納式座席が展開している(撮影:伊原薫)
ラッシュ用ドアの前の吊り革は頭が当たらないよう跳ね上げ式になっていた(撮影:伊原薫)

ただ、扉を増やせば必然的に座席が少なくなる。日中は扉数よりも座席数を確保し、サービスレベルを維持したい。この相反する課題を解決したのが、もう1つの策、昇降式座席だ。日中は5つある扉のうち2つを閉鎖し、天井近くに収納しておいた座席を下ろすことで、他形式とほぼ同等の座席数を確保した。ちなみに、座席を昇降する仕組みは電動式シャッターを参考に開発したという。

前述の通り、1970年末から営業を開始した京阪5000系は、朝ラッシュ時間帯で最も混雑する列車に投入され、さっそくその実力を発揮した。各駅の停車時間は、平均で20秒ほど短縮できたとも言われている。翌年にかけて計4編成が作られ、さらに1976年に1編成、1980年に2編成を増備。最終的には7編成にまで増えたことも、この設計思想が間違いでなかったことの証左といえるだろう。

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