引退、2階建て新幹線「E4系」が鉄道史に遺した意義 大量輸送時代の到来を見据え、定員は最大1634人
E4系では、1階・2階部分が客室になっている。通常の電車であれば、床下に走行機器を収めているのだが、E4系ではどこに収めているのだろうか。正解は車端部の平屋部分で、平屋部分には客室のほか、売店やトイレを設けているが、このほかに機器を収めた場所もある。細かいところでは、台車の脇や先頭部の「鼻」の中にも機器を収めているが、これは他の新幹線車両と大差がない。
また、2階建て車両ならではの機器として、車内販売用のワゴンを1階・2階部分に運ぶためのエレベーターを設けている。さらにグリーン車では、座席が2階にあるために車いす昇降設備を備え、バリアフリーに対応していた。
上越新幹線でラストランを迎えたE4系だが、1997年の登場当時は東北新幹線で使用され、「Maxやまびこ」「Maxなすの」に充当されていた。当初は東京―盛岡間で使用され、翌年からは途中の仙台で連結・切り離しが行われている。1999年からは山形新幹線の「つばさ」との連結も始まり、東北新幹線では「Maxやまびこ」と「つばさ」の組み合わせで使われた時代が長い。2005年にはE4系を使用した仙台以北での定期列車がなくなったが、しばらくは臨時列車で仙台以北の設定があった。
上越新幹線での活躍
「Maxやまびこ」「Maxなすの」での活躍は2012年で終了し、以後は上越新幹線関連の列車が活躍の場となる。上越新幹線では2001年から使用されているが、当初は「Maxあさひ」や「Maxたにがわ」で使用され、翌年に「Maxあさひ」が「Maxとき」と改称して現在に至っている。
E4系が上越新幹線での営業運転を開始した当初、16両編成の列車が運転できたのは東京―高崎間だけだった。後には越後湯沢まで、さらに終点の新潟までと16両編成で運転できる区間が拡大している。また、2004年からは途中駅の高崎での連結・切り離しも始まり、のちに下り列車は越後湯沢での切り離しに移行している。
だが、上り列車は高崎での連結に限られていたので、ガーラ湯沢や越後湯沢を出発した「Maxたにがわ」が高崎まで先行し、後からやってきた「Maxとき」を連結するという珍しい列車設定もあった。
また、臨時列車ながら北陸新幹線(当時の長野行新幹線)でもE4系が使用された。北陸新幹線での活躍は珍しく、軽井沢→東京間で「Maxあさま」という列車が設定されたのだが、この列車では北陸新幹線の急勾配に対応した車両が使用された。
E4系は、JR東日本の部内やコアなファンの間では「P編成」と呼ばれている。このP編成のうち、軽井沢への乗り入れに対応した特別な編成として、P51編成とP52編成の2本が存在した。この編成でも営業運転で使用できたのは上り列車だけで、軽井沢へ向かって上り坂となる下り列車の設定はない。
「Maxあさま」の運転は2003年で終わってしまったが、E4系の製造が終わったのも同じ年だ。最後に作られたP81編成とP82編成は、北陸新幹線の軽井沢から先、長野にも乗り入れができる構造で作られたのだが、せっかくの機能を使わずに終わっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら