引退、2階建て新幹線「E4系」が鉄道史に遺した意義 大量輸送時代の到来を見据え、定員は最大1634人
2021年10月1日、JR東日本の上越新幹線で活躍してきたE4系が定期運行を終える。E4系は2階建ての新幹線車両として珍しい存在だったのだが、どのような経緯で生まれ、活躍してきたのだろうか?
大量輸送の申し子
日本の新幹線のうち、最も利用者が多いのはJR東海の東海道新幹線だが、次いで利用者が多いのがJR東日本の東北新幹線となる。JR東日本が擁する新幹線の路線網は北へ向って枝分かれをしているが、上越・北陸・山形・秋田の各新幹線が分岐するうえに、東北新幹線を通じて北海道新幹線の列車が乗り入れてくる。特に東京―大宮間では、これらの新幹線が合流する区間でもあり、東海道新幹線と大差ない列車本数が設定されている。
限られた列車本数のなかで、多くの利用者を捌くにはどうするか。1つの列車に乗車できる人数を増やすのが適切ということで、E4系では2階建ての構造を採用し、できるだけ多くの客を輸送できるように造られた。
その一方で、路線が枝分かれするにつれて利用者が減っていくので、輸送力を調整する必要もある。この矛盾した要素を満たすべく、E4系では2階建ての車両ながら、途中駅での連結・切り離しにも対応したことが特徴だ。
E4系では8両編成で構成され、2本連結して16両編成で運転することができる。8両編成の定員はグリーン車・普通車を含めて817人で、これは同時期に作られたJR東日本の新幹線(E2系)の10両編成分に相当する。E4系の16両編成の定員は1634人で、これは世界的に類を見ないという。ちなみにN700系など、東海道新幹線の16両編成の定員は1323人で、車いすスペースを6人分とした編成では1316人に減っているが、同じ16両編成で300人以上も着席定員が多いという結果になる。
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