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コロナを「ウイルスとの戦争」と見る事への違和感 私たちがとれる選択肢はウイルスと生きること

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  • 福岡 伸一 生物学者、青山学院大学教授、ロックフェラー大学客員教授
  • 伊藤 亜紗 美学者、東京工業大学教授
  • 藤原 辰史 歴史学者、京都大学人文科学研究所准教授
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福岡:ワクチンや特効薬ができても、まるで霧が晴れるようにすべてのことが解決し、祝祭的な日が来るというようなことは、やはり幻想だと思います。私たちが取れる選択肢はただ一つ、ウイルスとともに生きるということだけなのです。

ロゴス的に行き過ぎた制圧のやり方は必ず破綻し、逆にピュシスがあぶり出されてくるということを覚えておかなければいけません。

自己検閲していないか?

藤原:新型コロナウイルスへの恐怖を理由に、テクノロジーで危機を乗り越えていこうという動きが強まっていった結果、監視システムを発展させて一人ひとりの生物学的情報を分析し、つなげていくというジョージ・オーウェル的社会がもたらされる可能性を見過ごしてはいけないと思います。

戦時中、「欲しがりません勝つまでは」というスローガンがありましたが、コロナ禍においても、人々の生活や感情を事細かに管理していくような権力のあり方が出てきたと思います。そうやって為政者が人々の一挙手一投足を監視していく恐怖に加えて、それにある種便乗する形で、いわゆる自粛警察的に、人々のあいだに監視装置が充実していくということも危惧しています。

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ナチスの民間監視人も普段はごく普通の生活を送っていた人たちで、彼らが警察に報告した資料を見ると、当時、どういう不満がナチスに向けられていたか、知ることができます。ナチスにとって、いつどこで監視されているかわからないという恐怖は、不満の爆発を未然に防ぐのに非常に都合がよかったわけです。

こうした監視社会の最終形態は、自分の頭の中に監視装置ができ上がることでしょう。管理者側のつくったロゴスの牢獄に自ら唯々諾々と入る、という感じでしょうか。例えば、マスクをする必要がない状況であっても人から怒られないためにマスクをつけるというのは、今回、多くの人が取った行動だったと思います。

私自身も含めての話になりますが、ものを書くときにも、「これは書き過ぎかな」と自己検閲するようなことがないかどうか、今一度考えるべきかもしれません。

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