韓国が文化財「返還」運動を加速するワケ 2010年8月の菅談話がもたらした混乱
2011年1月に、韓国に占拠されている日本領の竹島に、海洋基地が建設されることが発覚。同年5月には韓国の国会議員3名が、公職者としては初めてロシアのビザで北方領土を訪問した。これは北方領土を「我が国固有の領土」とする日本の立場と相反するものだ。さらに8月には、竹島博物館を視察するために訪韓しようとした自民党の3名の国会議員が入国を拒否されている。さらに、翌2012年8月10日には、李明博大統領が竹島に上陸。同月14日には天皇に謝罪を求める発言を行った。
そしてこの反日傾向は、朴槿恵政権に継承され、より強められているといえる。
政府間の問題ばかりではない。韓国から近い長崎県内で、2012年10月に窃盗が相次いだ。
対馬市の海神神社では統一新羅時代の作と言われる「銅造如来立像」が、そして同市の観音寺では高麗時代の作と言われる「銅造観世音菩薩坐像」が盗まれていることが発覚した。
前者は国の重要文化財に指定されており、後者は県指定有形文化財である。
2つは韓国で発見され、窃盗団も逮捕された。犯人の有罪が確定されたにもかかわらず、これらはいまだ日本に返還されていない。「銅造観世音菩薩坐像」については韓国の浮石寺が「倭寇に略奪されたもの」と主張したため、大田地裁が2013年2月26日に返還差し止めの仮処分を下したからだ。
ところが浮石寺は同坐像を所有した証拠を持っているわけではなく、その主張は一方的なものにすぎない。観音寺の田中節孝前住職は返還を求めて、対馬市の人口の半分に達する1万6803人分の署名を集めたが、その効果はいまだない。
日本の立場は変わったのか?
問題は、菅談話によって日本のこれまでの立場が大きく変化したと見られていることだ。
2011年5月26日付けの朝鮮日報紙は、同月13日に都内ホテルで開かれた朝鮮王朝儀軌還収委員会主催の「朝鮮の宝物、王朝儀軌還収祝賀宴」を報じ、次のように述べている。
「89年もかかったが、朝鮮王朝儀軌の還収は実に大きな意義がある。まず、1965年の韓日協定で『文化財返還についてのすべての問題は終結された』としたが、そうではないことが白日の下にさらされた。次に『文化財は原産国へ返還すべし』としたユネスコ及び、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の協約と勧告が今や世界の大勢になった」
冒頭で述べた東京国立博物館に小倉コレクションの保管中止を求めている慧門氏は同委員会の事務局長を務め、この祝賀会に参加していた。
ちなみに慧門氏は、対馬市の仏像盗難事件については日本に返還するよう、訴訟を行った。大田地裁で仮処分が出ている「銅造観世音菩薩坐像」は、3年間はその法的効果により当事者以外は関与できないが、「銅造如来立像」について海神人社に返還するようにと行政訴訟を起こしたのだ。
日本に文化財の「返還」を求める一方、対馬の仏像については日本への「返還」を求める。慧門氏の意図は以下のようにくみとれるのではないか。「太古の昔に日本に渡ったものはさておき、日本の支配下時代に日本が取得した朝鮮半島の文化財は韓国のものである」。
1993年8月に作られた慰安婦問題をめぐる河野談話は、日韓友好の美名の下にろくに根拠もなく作成されたことが明らかになっている。安易な政治家の発想は、日本国民の名誉を傷つけるだけだ。
菅談話も日韓友好の美名の下に作成されたが、これを根拠に文化財を巡る問題は、今後とも生じてくることは間違いない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら