実態はまったく違う。私は偉くもなければ頑張ってもいない。というか、そもそも偉くもなく根性も忍耐力もない私が10年もそんな暮らしをしているのは、その方が圧倒的にラクで、おトクで、安心で、ノーストレスだということに気づいてしまったからに他ならない。
なので世の多くの方は、このような暮らしをしている私を「頑張っちゃって大変だねえ」と同情の目で見ているかもしれないが、誠に僭越ながら、むしろ私の方が世の皆様を同情の目で見ているのですよ。皆様よくそんな辛く大変で不安な生活を続けているなあ大変だなあと。ちょっと考え方を変えればもっとラクに元気に安心して暮らせるのにと。
そういうことを何とか伝えたくてこの連載を書いているのであります。で、どうだろうか。その思いは伝わっているだろうか。これまで、タダで食べる方法、洋服や化粧品を買いまくる日々からの決別、古く狭い家で楽しく暮らす日々などについて書いてきた。ここらで自己採点をすれば、「まあそんなにお金を使わなくともそれなりに元気に生きていけるかも」ということくらいは伝わったのではないかと信じたい。
「買わない生活」で得られる「あるもの」
でも、今回これからお伝えすることは、それとはちょっとレベルが違う話である。
買わない生活は、「買わなくてもそれなりにやっていける」などという消極的なケチ臭い生活ではない。もっと爆発的な可能性を持っている、ザ・生活革命なんである。
すなわち、誰もが求めてやまない「あるもの」を、そう、どんなにお金を使ってもほとんどの人がどうしても得ることができないでいる、万人における永遠の夢とも言える「あるもの」を、買わない生活によってバババーンと一気に手に入れることができるのだ。
その「あるもの」とは。
そう、健康、であります。
実を言うとずっと、そんな朗報を特に意識することもなくやってきた。ま、それどころじゃなかったのだよ。自ら選択したこととはいえ節電と退社を機に暮らしを一気にサイズダウンし、何せ経験のないことなのであれこれ工夫したり壁にぶつかったりしながら必死に生きてきた。
でもやってみればそれがいちいち面白かった。あらまあ案外ちゃんと元気に前向きに楽しく生きられるじゃないかと、ただ日々を単純にキャッキャッと生きてきたのである。
それがある日ふと、「ん?」と思ったのだ。
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