素朴な疑問、「電車」と「列車」は一体何が違うのか 埼京線は「電車」、湘南新宿ラインは「列車」…

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ところでこの”電車”という言葉はいつから存在するのだろうか?

鉄道時代の黎明期、鉄道線を走るのは蒸気機関車が牽引する客車列車や貨物列車で、電車は路面電車から普及した。日本で鉄道線を走る電車が登場したのは1904年8月21日。現在の中央本線の一部の前身となる甲武鉄道が飯田町―中野間を電化して電車の運行を開始した。車両は全長約10mの2軸車ではあったが、連結運転が可能で電車列車の始祖といえる。官報では「電車運転」と公示。当時この区間は客車列車や貨物列車も運転し、列車線上を”電車”と”列車”が混在しており、これを区別するために”電車”と称したのかもしれない。

1904年12月31日には飯田町から御茶ノ水まで路線を延伸。官報は「電車運輸」と公示した。なお、飯田町―お茶ノ水間は貨物営業をしておらず、電車のみが運行していたため、この区間が最初の電車線だという見方もある。なお、甲武鉄道は1906年10月1日に鉄道国有法により国有化された。

1909年12月16日に、東海道本線烏森(現・新橋)―品川間が電化開業した。新橋(後の汐留)―品川間にある非電化の複線とは別に電車線が敷設された。同日には東北本線上野―田端間も電化。こちらは従来の線路を電化すると同時に、新たに線路を1本増設し、従来の線路1本と合わせて電車線とした。電車線という呼び方が登場したのはこれが最初だと思われる。

東海道本線・東北本線の電車線開業と同時に山手線の品川―田端・赤羽間も電化し、烏森―新宿―上野間と池袋―田端間、池袋ー赤羽間で電車の運転を開始した。前者は現在の山手線環状運転の原型であり、後者は赤羽線、後に埼京線となっている。なお、山手線の電車線は1925年3月28日に完成しており、それまでは列車線で電車を運行していた。

甲武鉄道飯田町―中野間と山手線の例を見てもわかるとおり、「電車線を走る列車=電車」というわけではなく、列車線と走る機関車列車と電車列車を区別するための”電車”という言葉ということになる。

横須賀・総武快速線が”電車”なワケ

では、近郊型車両を使う横須賀線・総武快速線がなぜ”電車”なのか。

横須賀線で電車運転が始まったのは1930年3月15日で、大阪地区で初めて電車の運転を開始した城東線(現・大阪環状線)・片町線四條畷―片町間よりも古い。横須賀線は当時の国鉄(正式には鉄道院)としては異例の長距離電車で、東京―横須賀間68kmを走破したのだが、これまで電車の長距離運転の前例がなかったので、近距離電車と同じく”電車”にくくられたのではないだろうか。

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