マネジャーがリーダーシップの邪魔をする理由 ビジョンなき大人が子どもの無力感を作り出す

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上級管理職になっても、その仕組みは変わらない。内部昇進を軸にして、業務をうまく回していけるマネジメントの才覚がある人が、昇進するのが慣例だった。それ自体は不都合ではない。きちんとできる人がマネジャーとなるのは当然だし、そうでなければ組織が回っていかない。

しかし、上に行けば行くほど事情が変わる。マネジメントだけではなく、チームや部門や組織全体を導いていくためのリーダーシップが期待される。ここがくせものだ。

マネジャーもリーダーも、どちらも組織の上層を担っているので、いっしょくたにされてしまう。マネジメントもリーダーシップもカタカナなので、いまいちピンとこない。マネジメントのポジションに就いている人にはリーダーシップがあると、ついつい考えてしまう。

菅総理は、安倍政権を官房長官として7年8カ月支えた。「官邸の守護神」とか、「安倍に菅あり」といわれ、その手腕は折り紙付きで、高い評判を得ていた。かつての森政権誕生のときのように、キングメーカーが密室で首相を決めるという筋書きは、会社でいえばコンプライアンス違反となる。

だから、オープンに、首相を総裁選で決めることになっている。菅政権も、都道府県連の代表による地方票の影響ではなく、国会議員の圧倒的な支持を受けて誕生した。

国会議員の目敏さで、「勝ち馬」に乗ろうとしたのかもしれない。他に選択肢がないという消極的理由だったのかもしれない。しかし、遠くから冷静に眺めてみれば、官房長官としてのマネジメントのスキルを評価して、信任を得たのは明らかだ。

それがどうだろう。発足当初の高い支持率はご祝儀相場だとして、その後のステーキ会食事件、東京オリンピック組織委員会長の迷走、長男を巻き込んだ東北新社の接待などの一連の騒動が影響して、支持率が低迷。緊急事態宣言の発令と解除といった国民生活に密着したことでも、ペーパーを読み上げるばかりで、その言葉が国民に届かない。

これはまさに、一流のマネジャーが昇進してリーダーとしての信頼を失うという「ピーターの法則」を、地でいっているようなものだ。

リーダーシップが見えない

マネジャーというのは、問題解決と実践を行うことがその最大の役目である。与えられた課題をいかにマネジメント(管理統制)していくかが、その仕事だ。

だから、目の前にある問題を整理し、さまざまな事情を考慮したうえで、とるべき選択肢を狭めていく。冷静な分析能力とか、前例に沿ったそつのない計画立案の能力が必要となってくる。それに加えて、組織と人事を動かす実行力が試される。

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