マネジャーがリーダーシップの邪魔をする理由 ビジョンなき大人が子どもの無力感を作り出す

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利害の調整ばかりに走っていると、自己主張ができなくなる。面と向かって敵対することを恐れ、周りの顔色をうかがっていると、内の中での秩序と序列が気になって、外で戦えなくなってしまう。「内弁慶の外地蔵」ということわざがあるように。

3日後、アラスカで米中外相会談が行われた。冒頭でブリンケン国務長官が、ウイグルや香港や台湾の人権問題に加えて、安全保障や経済などの幅広い分野で、中国が国際秩序を脅かしていると批判すると、外交を統括する楊政治局委員が「ブラック・ライブズ・マター」を引き合いに出し、アメリカの人権問題を批判するという異例の展開となった。

撮影が終わりかけたとき、アメリカ側が報道陣を呼び戻し、「日本で聞いた話とまったく違う」と反論をすると、再び中国側がマスコミを呼び戻し、「アメリカは外交儀礼に反しているし、国際世論を代表する立場にはない」といって、公開の場で批判の応酬となった。なんとまあ。

お互いに相手国の国内問題に言及し、内政干渉気味となった会談のやりとりはいただけないが、自分の主張すべきことは正々堂々と主張する。それがトップの役割であり、国や組織を代表する人材に必要な資質である。

外交であるから、水面下での諜報活動や裏の折衝はあるだろうが、表の舞台では相手が誰であろうが、批判があろうがなかろうが、言うべきことを言う。タフ・ネゴシエーター(厳しい交渉人)像を見せつけることが、国際政治はもとより、グローバルビジネスでも最低限必要な資質だろう。

その一方で、内輪のルールを重視し、はっきりとした自己主張をしない組織人や官僚の気質で、タフな交渉に臨むとどうなるか。

思い返せば、わが国の輸出産業に大打撃を与え、バブル経済の引き金を引いた1985年のプラザ合意のような煮え湯を、同盟国と思っていたアメリカから吞まされたり、1996年、決まりかけていたFIFAワールドカップ単独招致が、土壇場で日韓共同開催という玉虫色の決着に陥ったりする。それでも国民は、文句も言わずじっとガマンである。

そこで感じることは何か。わが国ではリーダーシップを取らないことに慣れすぎた。

リーダーとマネジャーは何が違うのか?

「日本企業は現場とミドルで持つ」という通説がある。現場を支えている人たちが、組織とともに、この国を支えているということだ。裏を返せば、トップは神輿に乗るお飾りということにもなるから、リーダーシップが一歩遠ざかる。

この国でリーダーシップが見えにくいのは、マネジャーが邪魔をしているからだ。にわかには信じられないかもしれないが、マネジャーとしてデキる人が上に立つから、リーダーシップの行く手をふさいでしまう。

組織で昇進するということは、ふつう、マネジャーとして能力が買われて上にあがる。まずは、管理の仕事をきっちりこなすことが求められる。中間管理職になれば、部下を持つ立場になるので、職場全体に目利きをしながら、自分以外の人を通して業務を間違いなく実施運営していく。マネジャーとしての管理能力が決め手となる。

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