亀戸線、東武が目指した「都心乗り入れ」夢の跡 本線級設備に2両編成、ローカル色濃いミニ路線

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亀戸線が開業したのはまだ明治、1904年のことである。東武鉄道の路線の中でもとりわけ古い。そうした歴史ある路線だけあって、古き時代の遺跡のようなものも散見されるという。

北十間川橋梁に残る止水板。今では使われることはない(筆者撮影)

その1つが、東あずま―亀戸水神間で北十間川を渡るところに設けられた止水板だ。

なんでも、橋桁が低く、川の水かさが増したときに水が町中にあふれ出ないように、止水板を設けていたという。今では北十間川も治水工事が行われ、コンクリートでがっちり守られて水面から橋までもだいぶ高くなっている。が、そんなところにも歴史の名残があるのだ。

「ほかにもありますよ。亀戸水神駅のすぐ亀戸寄りなんですが、旧亀戸水神駅のホームを支えていたコンクリートの跡が線路の横に今も残っています。亀戸水神駅にはホームに臨時改札の跡があったりと、いろいろ見どころがある駅といえるかもしれませんね」(落合駅長)

大師線と同じ車両を使う

とはいえ、亀戸水神と亀戸天神はまったくの別物だし、沿線にこれといった観光地があるような路線ではない。つまりほとんど100%、地元の人たちの通勤通学や日常の買い物、地域輸送のための路線というわけだ。

亀戸水神駅のホームには「亀戸天神と亀戸水神はちがいます」と書かれた案内板(筆者撮影)

「朝は3編成使って7分間隔、日中は2編成で10分間隔で運転しています。車両は大師線と共通の8000系で、朝の3編成運用で使った車両をお昼まで亀戸駅に留置して、昼過ぎに回送で西新井駅まで輸送、その後は大師線で運用するパターンが組まれています。入れ替わりに大師線の車両は北春日部の車両基地に向かい、翌日の朝には別の車両が3編成運用に備えて春日部から亀戸線に入ってくる。2両編成の8000系がスカイツリーラインを走る、珍しいシーンが見られますよ」(落合駅長)

この日中の亀戸線から大師線への回送列車を利用して、地元と組んで団体臨時列車を運行したこともあるという。リバイバルカラーの特別塗装車両もあり、色とりどりの車両が走る個性的な都心の中のローカル線というわけである。

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