「桜田門外の変」で食べ物の恨みは怖いと思う訳 井伊直弼と水戸藩の「牛肉」をめぐる深い因縁

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もっとも、大名の多くは直弼の牛への愛情をして、「佞佛(ねいぶつ)」と呼んでいた。「佞」とは、へつらう、おもねる、の意味。つまり、仏をおもねるあまり、道理を欠いた仏徒のことをさしている。牛の屠畜を禁じながら、安政の大獄で反対派の首を次々とはねていったのだから、そう呼びたくもなる。

斉昭にも劣らず、肉好きだったのは息子の慶喜も一緒だ。のちに慶喜が、江戸の街火消しだった新門辰五郎を、京に連れてきていたことは広く知られる。その辰五郎に2分ずつ渡して「今日も買ってきてくれ」と、牛肉を買いにやらせていた。生粋の江戸っ子の侠客が、寺社仏閣の建ち並ぶ京の都で、四つ足の肉を買い漁るのだから、京童部たちに嫌われていたのも無理はなかった。

一橋家に奉公するようになった渋沢栄一も、京都滞在中の月の手当が4両1分で、抱えた借金返済のために節約を心がけ、「朝夕の食事も汁の実や沢庵を自分で買出しにいって、時々竹の包みに牛肉などを買って来た、それが最上の奢りであった」と自伝『雨夜譚』に記している。栄一も牛肉をごちそうとして味わっていたことがわかる。

豚肉も大好きだった慶喜

ただ、慶喜は牛肉もさることながら豚肉も大好きだった。そのことは市中にも知れ渡っていたようで、ついた渾名が「豚一殿」。豚が好きな一橋のお殿様、という意味だ。当時、豚は薩摩藩の名産だった。統治していた琉球の文化の影響もあって、薩摩では古くから豚肉を食べた。西郷隆盛の好物も「とんこつ」という豚料理だったことで知られる。

もともとは、薩摩藩主だった島津斉彬が水戸の斉昭に豚を送っていた。そこからはじまる慶喜の豚好きが薩摩を困らせる。弱冠28歳の若さで薩摩藩の家老に就いた小松帯刀が、元治元年(1864年)に京の屋敷から郷里に送った手紙に、慶喜からたびたび豚を所望されて困っていることを、まさに愚痴のように書いている。

帯刀は自分が持っていた豚肉を3回も慶喜に送ったこと、それで手持ちがなくなったこと、それでも使いを寄こして催促してくることなどを書き連ね、「大名と申者不勘弁之者、大キに込入申候」と締めくくっている。大名とは、どうしてこう聞き分けのないわがままなのか、大いに困り入った、というわけだ。

肉をしつこくねだる姿は、父親の斉昭にそっくりだ。ひょっとしたら、この豚肉が由縁で倒幕につながるのかもしれない。

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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