「数学でつまずく人」が知らない日本語の使い方 数学の学びで極めて重要な「すべて」と「ある」
筆者は2007年に、東京理科大学理学部から桜美林大学リベラルアーツ学群に移ってきた。新入生は専攻を決めていない場合もよくあるが、リベラルアーツ学群の新入生で「すべて」と「ある」を含む論理的な文章が得意な者が、入学後に専攻を「数学」に決める場合がある。そのような学生は元来、語学が得意であり、英語や国語を専攻とするのが自然だろう。
ところが筆者の数学ゼミナールには、英語や国語を専攻するはずの学生が過去、何人も入ってきたように、入学後に専攻を「数学」に決める学生にときどき出会う。
実は、そのような女子学生の1人には、筆者は数学的な原稿を何度もチェックしてもらったように、特筆すべき能力があった。現在では横浜市の高校の数学教諭として活躍しているが、ほかにも似たようなケースがいくつかある。
就活の非言語の適性検査の力にも関係
かつて桜美林大学就職委員長の時代に、「就活の算数」というボランティア授業を後期の木曜夜に行っていて、その内容を本として作成することになったとき、1人の男子学生に手伝ってもらうことにした。
その学生は、「自分は計算が遅く、とてもお手伝いができません」と言ったが、筆者は「キミは論理的な文章が得意だから大丈夫。それにこの仕事を手伝うと、きっと算数・数学的な非言語の就活適性検査の力はアップするよ」と伝えて、最後までお世話になって本が完成した。
後日、その学生が訪ねてきて、「先生、自分はIT関係の会社に就職が内定しました。採用責任者との面接時に、『キミは全国から受験した約200人中、非言語関係の試験の成績はトップでした』と言われたのです」と伝えてもらい、うれしい思い出として残っている。
上で述べてきたことからも、「すべて」と「ある」の用法がいかに数学の学びにとって重要であるかを、ご理解していただけるだろう。もっとも、このような訴えを続けている背景には、背中を押してもらった一件があったことを最後に述べたい。
それは、東京理科大学から桜美林大学に移る2007年の2月に行われた東京理科大学工学部の数学入試問題に、「すべて」と「ある」が入った文の否定文を書かせる問題が出題されたのである。その入試が終わった直後からしばらくの間、その問題と解答を巡って、東京理科大学に勤務する何人もの数学教員が熱く語った姿を見て、「それらの用法については、自らも語り続けよう」と思った次第である。
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