STAP騒動…日本の科学はダメなのか? 田原総一朗×丸幸弘「日本の科学と教育を変えよ」
丸:そうですね。わたし自身も課程で習ったというより、師匠から直接伝えられたという感じです。だから、所属する研究室によって、ノートの取り方や論文の作法もちょっとずつ違ってしまうんですよね。僕の指導教官は、望ましいデータが出てきたときほどこそ、疑ってかかるというのが科学者としての基本的な姿勢だ、と厳しく仕込まれましたからね。
だから、リバネスでもSTAP細胞の論文が発表されたとき、メディアの派手な報道もあって、ざわめいたわけです。「これホントだったらヤバイよね」って。あまりにもデータが確かなものに見えたので、「怪しい」と思ったんです。すごい論文が出てきた、やられたっという悔しさももちろんありますが、科学者ってそういう生き物なんですよ(笑)。
田原:メディアの取り上げ方については、僕はメディアってそういうものだと思っている。メディアって元来「野次馬」なんですよ。朝日とか読売とかに科学を正確に論じろ、なんて無理な話。むしろ、そんな中にあって科学をきちんと論じる専門メディア――たとえばNatureやScienceのような――がないといけない、というのが事の本質だね。
丸:専門メディアが不在なのはまさに問題だと思っていて、リバネスの出版事業はそういう存在になることを目指しています。なかなか広く科学を理解してもらうのは難しいですが、論文の書き方、読み方、そもそも研究者とはどういう存在なのかを伝えていく必要があると感じています。
STAP問題の会見でとても違和感があったのは、小保方さんという「科学者」が自ら説明をしていたことです。科学者は研究をするのが仕事であって、世間・メディアに対して説明をするのは本業じゃないんです。そのために私たちのような「サイエンス・ブリッジ・コミュニケーター」という職業があるんです。
あんな会見を開いてはいけなかったし、理研の科学者が「申し訳ございません」と頭を下げるのもとてもヘンです。科学者は仮説を立てて、実験で試行錯誤する以上、本来的に間違った結果にもたどりついてしまうものなんです。
間違いは、また別の実験で正せばよい。それが本来の姿なんですから。科学者が出てきて、質疑に応じるのは学会でやるべきことなんです。メディアに出るのじゃなくて、真理を追究するのが科学者の仕事なんですから。
田原:僕は小保方さんのあの会見(4月9日の理研の調査結果に対する反論)は、もう失格というレッテルを貼られた科学者としての立場じゃなくて、再調査を認めなかった理研に対する一種の復讐だとみたけどね。
丸:僕の周りでは、「理研でなくてもいいので、彼女に研究室を貸して、再実験の場を提供したらいいじゃないか」という声が上がっていますね。
田原:リバネスで提供したらいいんじゃない? 小保方さんを引き抜こうよ(笑)。
丸:ホントにそんなことになったら、メディアが押し寄せて仕事にならなくなりますよ!(笑)。
(構成:まつもとあつし、撮影:風間仁一郎)
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