「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断 海外連行された被害者はざっと5万人にのぼる

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海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。

この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。

「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。

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その一方で、日本国内に向けてもただちに奴隷として人を売買することを禁じる法令を発している。こうして秀吉の強硬な態度がポルトガルに対し示されたことで、日本人奴隷の交易はやがて終息に向かうのであった。

もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。

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慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。

ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。

ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。

新 晴正 作家

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あらた はるまさ / Harumasa Arata

石川県生まれ。経済紙記者として現役で活躍するかたわら、歴史への探究心とその該博な知識を活かし、歴史の意外な側面にスポットを当てる書籍を"黒子"として数々執筆。参画した書籍のベストセラー多数。本作は、その名ではじめて世に出す、ひと味違う日本史教養本である。

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