「スペイン風邪」流行時に鉄道利用者は減ったか 明治初期からのデータを調べて判明した事実

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当時は日本の鉄道史上でも特筆される成長期で、旅客輸送人員の増加率は1916年度から1923年度まで8年連続して2桁を記録している。何しろ、この時期に次ぐ連続2桁の成長率は国有鉄道では1895年度から1898年度までの4年、鉄道全体でも1938年度から1941年度までのやはり4年だ。戦後に至っては2桁の増加率自体、1951年度の国有鉄道の12.2%しか存在せず、民鉄、鉄道全体では一度も記録したことがない。

旅客輸送人員の増加の要因は、日本国内が第一次世界大戦終戦後の好景気に沸いたからである。さらには、国有鉄道の幹線が次々に整備されたからだ。この時期に、いまのJR北海道の千歳、室蘭、根室、宗谷、石北の各線、同JR東日本の上越、田沢湖、羽越、内房の各線、同JR東海の高山、紀勢の各線、同JR西日本の伯備、山陰、紀勢の各線、同JR四国の予讃、内子、高徳、土讃、徳島、同JR九州の鹿児島、筑肥、久大、豊肥、日豊の各線が全線または一部区間の開業を果たす。当時の新聞を見ても、スペインインフルエンザで人々が鉄道の利用を取りやめたという内容の記事は見つからなかった。一部の鉄道会社で従業員が罹患して列車の運行に支障を来しそうだという記事は1920年1月23日付の朝日新聞に載っていたが、その後、実際に列車が運休したという記事はない。

コレラも怖かった

ただし列車の車内での感染対策にまつわる記事は散見された。一例として1920年6月25日付の朝日新聞の記事を挙げておくと、東海道本線で使用される客車すべてに消毒液と消毒用の器具とを用意するとあった。車内で患者が発生したら車掌は地上の職員と連携を取って入院などの措置を取るなど、感染を防ぐために積極的に行動するともある。昨今の鉄道でも行ってほしいと思いたくなるが、実はこの感染症はスペインインフルエンザではない。コレラである。

コレラ自体は明治期に国内で何度も流行し、特に1887年には15万5923人が罹患し、10万8405人が亡くなった。その後もくすぶり続け、1920年の患者数は6月23日の時点で199人と、人々を恐れさせるに十分な数であった。当時はスペインインフルエンザも恐かったが、コレラもそしてほかにも結核も恐いという時代であり、ほぼ新型コロナウイルス感染症だけに注意していればよい現代とは大きく異なる。一歩間違えば感染する可能性があり、重症化する割合もいまと比較すればかなり高いという時代ではあったが、それでも人々は鉄道で移動し続けたのだ。

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