「スペイン風邪」流行時に鉄道利用者は減ったか 明治初期からのデータを調べて判明した事実

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それにしても、コロナ禍の現代よりも旅客輸送人員の減少率が多かった1885年度とはどのような年であったのであろうか。考えられるのは、大蔵卿の松方正義が1881年より行ったデフレーション財政政策、いわゆる松方財政による不況がピークに達したからという理由だ。1872年度以降成長を続けていた鉄道の旅客輸送人員は1882年度に初めて減少に転じ、低落傾向はいま問題としている1885年度まで続いた――。

と言いたいところだが、種明かしをすると1885年度の鉄道に関する統計データは旅客輸送人員を含めて参考値として見なければならない。

なぜかというと、会計年度は前年度の1884年度までは7月から翌年6月までで、1885年度から現行の4月から翌年3月までに改められたからだ。つまり、1885年度の数値には7月1日から翌年3月31日までの9カ月分しか反映されていないので、もともと旅客輸送人員が減少傾向にあったところ、期間も短いのでさらに減って見えるという事態に陥ったのである。

1885年4月から6月までの旅客輸送人員の月次データは不明なので、残る9カ月分の1カ月当たりの平均値29万3000人を用いて、会計年度が12カ月であった場合の旅客輸送人員を求めてみよう。すると、87万9000人増えて351万6000人となり、前年度との3カ月分の重複を無視して減少率を求めると14.2%となった。この場合、JR・国有鉄道における旅客輸送人員の減少率1位は1884年度の20.2%へと変わる。先述のとおり、松方財政による不況で鉄道の利用者が大きく減ってしまったからだ。いずれにせよ、2020年度の減少率がJR・国有鉄道を通じて実質的には最多となることは濃厚である。

スペイン風邪のときはどうだった?

気になるのは前回のパンデミック、日本で1918年8月下旬から1921年7月にかけて猛威を振るったスペインインフルエンザ、俗に言うスペイン風邪の感染拡大時の鉄道の状況であろう。国内では約3年のパンデミックの間に2380万4000人が罹患し、38万8698人が亡くなった。近代日本では最大のパンデミック禍といえる。

筆者作成

ところが、いままで取り上げてきた鉄道の旅客輸送人員の観点からいうと、スペインインフルエンザの影響はまったくといってよいほど受けていない。というのも、統計が残されている国有鉄道の該当年度から旅客輸送人員、それから前年度からの増加数、同じく増加率を順に挙げると、1918年度が2億8806万2000人、4282万7000人、17.5%、1919年度が3億5788万2000人、6982万人、24.2%、1920年度が4億582万人、4793万8000人、13.4%、1921年度が4億5453万6000人、4871万6000人、12.0%と、著しい伸びを見せているからだ。

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