辞めた人をけなす上司が若手から嫌われる理由 日本企業の「ポテンシャル採用」にも問題はある
ただ、会社を辞めることを悪く言う上司のことを若者たちは冷めた目で見ています。辞めた人への愚痴は、まだ在籍している人に言うので、問題ないと思っていたら大間違いです。
彼らは「明日はわが身」と思って退職者のことを見ているので、上司の言う退職者への愚痴は、自分に向けてのものと考えます。「あいつは能力が足りなかった」「仕事のスタンスがなっていなかった」「そもそも社風に合わなかった」などと言えば、自分もいつかそんな風に思われるのかと気持ちが萎えてきます。
しかも、会社自体への問題には言及しないのであれば、「他責な上司」というレッテルを貼られてしまうことでしょう。
そもそも、過去の時代に、途中で会社を辞めることがよく思われていなかったのは、そういう「心理的契約」を結べていたからです。「会社は一生、君のことを面倒みるから、その代わり、会社のために粉骨砕身、頑張って貢献してくれたまえ」というようなものです。
しかし、バブル崩壊以降、数十年の間でのリストラなどのさまざまな出来事で、そんな「心理的契約」はウソだということがバレてしまっています。いざとなれば、会社に切られてしまうかもしれないのに、個人が辞める、言い換えれば会社を切ることはなぜダメなのでしょうか。
「お互いさまじゃないか」と辞める若者が自分を正当化するのは当たり前です。
辞めた人ではなく、自分の至らなさを嘆くべし
一生面倒を見られない以上、どんな理由であっても個人が会社を「辞める」ということを非難する筋合いはありません。
もちろん、採った人、育てた人からみれば、残念なことであったり、もったいないことであったり、腹立たしいことであったりするでしょう。
しかし、人には非合理で、自分に不利なことでも、実行する権利があります。ある意味、タバコやお酒のようなものです。
人が辞めるときには相手側にある理由はコントロールできないのですから、次につながる反省は自社や上司としての自分が何かできることがなかったか、ということだけなのです。何事もそうですが、コントロールできることにフォーカスすべきです。
しかし、それでも、辞めていく(いこうとする)若者にモノを言いたいときもあるでしょう。
今辞めることが本当にその人のためになるのか、とか、このタイミングで辞めるのは周囲の人にとってあまりに義理を欠き、人としてそういうことをしてもいいのか、とか。
それを、本当にその人のためを思って言うのであれば、嫌われようがどうなろうが、本人に直言すればいいのです(残った他人に言うのではなく)。強い気持ちが裏にあるなら伝わるかもしれません。しかし、それでも、「親の心、子知らず」ですから、期待してはいけません。
私もそうでしたが、上司からの愛のある忠告は、何年も経って、自分が上司になってからようやくわかったものでした。間違っても「お前のためを思って言うのだが」などとは言わないほうがいいでしょう。
自分のために言ってくれたかどうかは、相手が判断するものですから。
株式会社 人材研究所(Talented People Laboratory Inc.)代表取締役社長。1995年 京都大学教育学部心理学科卒業後、株式会社リクルートに入社し人事部に配属。以後人事コンサルタント、人事部採用グループゼネラルマネジャーなどを経験。その後ライフネット生命保険株式会社、株式会社オープンハウスの人事部門責任者を経て、2011年に同社を設立。組織人事コンサルティング、採用アウトソーシング、人材紹介・ヘッドハンティング、組織開発など、採用を中核に企業全体の組織運営におけるコンサルティング業務を行っている。
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