戦前は寛容だった?「浮気とお金」の奥深い歴史 妾を持つことがある種のステータスだった

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この背景には、戦後の日本で企業の交際費が必要経費として大幅に認められるようになった事情が関係しています。昭和30年代から40年代にかけて企業の交際費はふくれあがり、国税庁の発表によると昭和30年には3000億円だったのが、45年には1兆円を超えました。

要するに戦後高度成長期は社長も社員も、会社のカネで飲みまくり遊びまくってたわけです。日本の交際費の1割は銀座に落ちるだとか、日本のホステス人口はいまや国家公務員に匹敵するだとか、なんの自慢なのかわからない伝説が生まれたのもこのころ。

とはいえ、さすがに税務署や国税庁も、社長の愛人のお手当てまでは会社の経費とは認めるわけがない。バレたら当然、脱税なので、エロ社長たちはごまかしかたに知恵を絞ります。

ある社長は取引先の社長と示し合わせ、互いに相手の愛人を会社の取締役にすることで、愛人に会社から給料を払うという交換愛人トリックを実践していました。結局この会社は倒産し、社長の悪行もバレましたけど。

進んだ愛人の「大衆化」

1959(昭和34)年に、妾をテーマにした『妾』(沢寿次著)という本が出ています。さまざまな妾トリビアが載っていますが、根拠となる文献が明示されてないので、資料的価値はいまひとつ。

東京の大企業に勤める35~50歳の既婚管理職サラリーマン216人中、51人が愛人と浮気しているなんて調査結果が載ってますが……どこまで信用したものか。ともあれ、経済発展とともに愛人の大衆化が進んだのはまちがいないところです。

1970年代くらいになると水商売のプロ女性だけでなく、シロウトがお金欲しさに愛人志願をするようになります。

1972年4月27日号の『週刊平凡』では21歳の女子大生が、「フィーリングさえ合って月に30万円もらえれば、ハゲでも金歯でも文句いわないわ」と身の程をわきまえぬ希望条件を出しています。当時、会社の受付嬢の月給が手取りで3万5000円なんて時代ですから、30万などありえません。

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