巨大駅・大阪はなぜ「湿地帯」梅田にできたのか 広すぎた用地が大ターミナルへの成長を支えた

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大阪駅・梅田貨物駅一帯の再開発は、1979年に当時の国鉄総裁、高木文雄が大阪市長の大島靖へ貨物駅の跡地利用計画を策定するように依頼したことから始まった。その後、民間事業者をはじめ建築家・都市プランナー・市民など幅広い層から大阪駅・梅田貨物駅界隈の開発計画が百出し、アイデアを競い合っている。

それぞれの開発計画の内容は多岐にわたったが、通底していたのは緑・自然・公園というキーワードだった。これらの思想は現在にも引き継がれ、大阪駅・梅田駅周辺は単なる大規模開発というだけではなく、公開空地や公園の配置計画などオープンスペースを重視した傾向が見られる。

梅田貨物駅の広大な跡地は、北コンテナヤード・南コンテナヤード・国鉄関連施設の3エリアに大別できる。大阪駅の南側に広がっていた南コンテナヤードがトップバッターとして開発が進められたが、周辺は戦後復興時に土地が細分化されたこともあり権利関係が複雑だった。そうした事情から、立ち退きは遅々として進まず、1985年に完了。ここから南コンテナヤードを含む梅田西地区の開発が本格化していく。

「うめきた」開発でさらなる発展

一方、北側は1987年の国鉄分割民営化により、北コンテナヤードと国鉄関連施設の再開発が正式に決定した。そこから急ピッチで事業計画の策定が進められていく。しかし、直後にバブルが崩壊。これが開発熱を冷ましてしまう。再び開発機運が高まりつつあった1995年には、阪神・淡路大震災が発生。一時的ながら大阪駅・梅田駅の開発スケジュールに空白が生じた。

駅=街になりつつあるため、最近は「ステーションシティ」という新たな概念が生まれつつある。大阪駅はステーションシティの筆頭格ともいえる存在だ(筆者撮影)

商業地として発展してきた大阪駅・梅田駅一帯だが、それでも貨物需要は旺盛だった。そのため、梅田貨物駅の機能をどこに移転させるかという課題をクリアしなければ本格的な再開発は始められなかった。貨物駅の機能移転は紆余曲折を経て、近隣に吹田貨物ターミナル駅・百済貨物ターミナル駅という受け皿を用意したことで解決した。

こうして2013年に梅田貨物駅が廃止。約25年の歳月を経て、大阪駅・梅田駅北側の再開発は本格化した。現在、「うめきた」は急ピッチで再開発事業が進む。2020年3月には、再開発地に2023年春に開業する予定の新駅の名称が「大阪駅」に決まった。現在の大阪駅と地下通路で結ばれ、同一の駅とする計画だ。

2031年には、大阪市中心部を南北に縦断し、関西空港アクセス路線となるなにわ筋線が開業する予定で、同線には南海電鉄が乗り入れる。また、阪急も新線による乗り入れ計画がある。発表されている計画は途上段階にあり、どこまで実現するかは未知数だが、今後さらに大阪駅・梅田駅が飛躍を遂げることは間違いないだろう。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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