巨大駅・大阪はなぜ「湿地帯」梅田にできたのか 広すぎた用地が大ターミナルへの成長を支えた

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こうして大阪駅は、わずかな期間で存在感を高めていった。ただ、前述のとおり大阪港で荷揚げされた物資を輸送するための路線は短期間で廃止されたものの、堂島の重要性は依然として高いままだった。そこに着目した大阪の実業家たちが、1898年に西成鉄道(現・大阪環状線の一部およびJRゆめ咲線)を開業させた。

同鉄道の経営陣には2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公でもある渋沢栄一も名を連ねている。渋沢は西成鉄道への出資以前にも五代友厚とともに三十二銀行(現・三井住友銀行)や大阪株式取引所(現・大阪取引所)、大阪銀行集会所(現・大阪銀行協会)などを設立し、紡績工場の操業も開始している。

渋沢がまいた種は大正期に実を結び、大阪は紡績業を軸に世界屈指の都市へと成長する。同じく紡績業で発展したイギリス・マンチェスターになぞらえて、大阪は東洋のマンチェスターとうたわれるほどの大都市になる。

著しい発展を続ける大阪市は、市域拡張で周辺区域を取り込み「大大阪」と呼ばれるようになる。一方、大阪市では過密問題が新たな社会問題として浮上していた。過密を解消するためには、郊外に住宅地を開発し、そこから通勤するという新たなライフスタイルが有効だ。それには鉄道網の整備が不可欠だった。

私鉄の「梅田駅」が開業

こうした社会的背景が後押しし、私鉄が沿線開発も兼ねて郊外の住宅地造成を急ピッチで進める。

阪神間では、1905年に阪神電気鉄道が出入橋駅(現在は廃止)―神戸駅(現・神戸三宮)間を開業。阪神は上福島にターミナル駅を置く予定にしていたが、大阪駅に近い場所のほうが多くの需要を創出できると考え、より近い場所に出入橋駅を開設。さらに同駅から梅田への延伸も計画する。

出入橋駅からは梅田駅―堂島川南岸―中之島―桜橋―梅田運河東岸―出入橋駅という市中心部を循環する路線を計画していたが、これは大阪市が市内で市電を運行していたこともあって許可が下りなかった。

しかし、その後も阪神は梅田進出を諦めず、翌年には“仮開業”ながら梅田まで延伸開業する。仮開業扱いだったのは、同区間が用地の制約から単線だったからだ。駅名は大阪ではなく「梅田」とした。

阪神に続き、1910年には箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が現在の宝塚線を開業する。同社を率いる小林一三は、卓抜した経営手腕を発揮。沿線開発を積極的に進め、乗降客数を大幅に増やしていく。

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