新幹線0系誕生の「影の立役者」、在来線車両5選 技術の積み重ねが世界に誇る高速鉄道を生んだ

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1964年の東海道新幹線開業時にデビューした0系は1986年まで製造され、2008年まで現役で活躍した(筆者撮影)

「世界に誇る新幹線」のパイオニアである東海道新幹線0系。新幹線と言えば最先端の技術を惜しみなく注ぎ込むイメージが強いが、実は0系は極力既存の技術を活かすことで、初期トラブルが少ない、信頼性の高い車両としたと言われている。そこで、0系の開発に貢献したと言える鉄道車両を考えてみたい。

高速運転を支える「交流電化」の礎

弾丸列車計画

本題に入る前に、弾丸列車構想が新幹線に与えた影響も考察しておきたい。弾丸列車とは1939年から構想された高速鉄道計画。東京―下関間を1435mm軌間の別線で建設し、電化区間を電気機関車牽引により最高時速200kmで、非電化区間は蒸気機関車牽引により時速150kmで運転しようというものだった。

電化区間で時速200km運転を行うため、直流の電圧を在来線の倍となる3000Vとして、主電動機の高出力化を図る計画だった。

また、線路の規格や車両の規格などの多くが東海道新幹線の規格にも適用されている。そのほか東海道新幹線のルートの多くが弾丸列車建設のために買収された用地を使用しており、新丹那トンネルや日本坂トンネルは弾丸列車時代に掘削が開始されていた。

国鉄ED45形電気機関車

弾丸列車計画で触れた通り、時速200km運転を行うためには高出力の主電動機が必要で、0系では定格端子電圧415V(最大端子電圧500V)の直流主電動機を1ユニットで8個搭載。1両分4個1組で永久直列接続とした。この結果、必要となる直流最大電圧は2000Vとなった。これは弾丸列車の3000Vよりは低電圧であるが、在来線よりは高い。また、直流電化の場合、変電所の間隔を長くすることができず、地上設備の費用が多大となる。

一方、交流は変圧器で容易に電圧を変えることができるため、架線電圧を高くして長距離送電をすることができ、変電所の間隔を長くすることができる。交流電化方式は国鉄が地方路線向けに研究を行っており、交流専用の電気機関車として1955年にED44形(後のED90形)、ED45形(同ED91形)を試作して、仙山線で試験を行った。

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