怖がりな登山家が「経営で大成功」した納得の訳 モンベル創業者が語る経営者としての心構え

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規模を拡大するといっても、「どこまで」大きくすればいいのか。私は、次のように市場の可能性をイメージしました。

・いつまで……30年間
20代で入社した社員が30年後に50代となり、世代循環のサイクルがひと回りする。
・どこまで……年商100億円の可能性
当時の登山用品市場の規模(500億円程度)のおよそ2割程度の可能性。

「30年後、年商100億円程度を目安に事業を進める」イメージです。

もし、日本の登山市場にポテンシャルがなかったとしたら、対応方法として考えられるのは、ひとつには、ジャンルの拡大。登山用品だけでなく、テニス、サッカー、野球など、スポーツ全般に商材を広げる。

もうひとつの方法は、販売地域を拡大する。国内市場に限界があるのなら、販売地域を海外に広げればいい。国内の売上が60億円だとしたら、20億円はアメリカ、残りの20億円はヨーロッパで売り上げる形にすればいい。極めて単純な発想でした。

得意な山に特化した「小さな世界戦略」

そもそも、「山に関連したビジネスを生業にしたい」と考えて起業したのですから、他のジャンルへの拡大は本意ではありません。そこで「得意な山の分野に特化して、市場規模を拡大する」ことにしました。私はこれを「小さな世界戦略」と名付けました。

創業3年目、社員は5人。国内でのビジネス基盤が固まっていない段階で海外進出を仕掛けたのは、会社を存続させるためのリスク対策でもあったのです。海外進出を含め、これまで、さまざまな決断をしてきました。将来を見据え、リスクを考慮し、対策を講じながら決断したのは、人一倍怖がりだからです。

中学時代、私は足しげく、金剛山(大阪府)に通いました。中学校には山岳部もワンダーフォーゲル部もなく、身近に山を教えてくれる人はいませんでした。義兄(姉の夫)から古いザックを譲り受け、父親が軍隊で使っていたハンゴウを手に入れ、使い古した毛布を自分で縫って寝袋をつくり、おこづかいを貯めてテントを買って、山に入りました。

金剛山周辺にはキャンプ場がなかったので、沢筋の適地を選んでテントを張りました。キャンプを始めたころ、陽が落ちて人気(ひとけ)がなくなると、自分だけが取り残されたような不安を覚えました。暗闇と静けさに押しつぶされそうになりながら、朝を待つ。自分の弱さと未熟さを思い知らされる時間でした。

ですが、明るくなるにつれ不安は払拭され、元気がわいてきます。不安に耐えて迎えた朝は、感動的でした。空気が澄んでいて、爽快でした。暗闇の先に、またひとつ強くなった自分がいました。

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