2008年のリーマンショック。勤めていた会社が倒産したコウヘイさん(仮名、49歳)は連日、ハローワークに通い詰めていた。所内は失業者であふれ、インターネットで検索をするのに30分待ち、紹介状を出してもらうのに2時間待ちはざら。そんなとき、コウヘイさんの目にとまったのは、カウンターの内側で忙しく働く相談員たちの姿だったという。
手取り16万円、契約期間は長くて3カ月
「こっちは仕事がなくてヒーヒー言うてるのに、(カウンターの)向こう側は人手不足。不況でも忙しいなんてうらやましい職場やなぁと思いながら眺めていて、ふとひらめいたんです。『そうか!カウンターの内側に座る人間になればいいんや』と。そのときは、すごくいいアイデアを思いついたと思ったんですけどね……」
関西地方出身。私立大学を卒業後、大手自動車メーカー系列の販売会社に就職したものの、リーマンショックのあおりで失業した。「200社以上、応募書類を出しても就職が決まらない」追い詰められた状況の中、“相談員”に転職することを決意したのだ。
しかし、「すごくいいアイデアを見つけた」という高揚感は、すぐに失望へと変わった。コウヘイさんはスキルを身に付けるため、まず大阪府内のある自治体による若者向けの就労支援事業の相談員として働き始めたのだが、労働条件が驚くほど悪かったのだ。雇用主は自治体ではなく、事業を受託した民間企業。雇用期間1カ月の準社員で、月収は20万円に満たないうえ、交通費の支給もなかった。
働き始めてすぐに、“目標”として定めたハローワークの相談員も、ほとんどが1年ごとの契約更新を繰り返す非正規職員であることを知った。
就労支援の相談員はどこも細切れ雇用で、やむをえずいくつかの職場を渡り歩いたが、待遇は似たり寄ったり。自治体肝いりの取り組みのはずなのに、自治体職員として採用されたことは一度もなかった。いずれも事業を受託したパソナやテンプスタッフといった大手派遣の系列会社の契約社員という身分だったという。
「契約期間は長くて3カ月。月収はどこも20万円くらいだったので、手取りだと16万円にしかなりませんでした」
相談員のあまりの待遇の劣悪さに驚いたコウヘイさんは、この間何度か一般の民間企業に就職しなおしたこともある。ただ長引く不況下で中途入社できたのは、いわゆるブラック企業が多く、月100時間近いサービス残業を強いられたり、労働基準法に触れる採用や労務管理を担当させられたりした。
非正規雇用でワーキングプアの相談員か、ブラック企業の正社員か──。決めかねては転職を繰り返していた2015年、生活困窮者自立支援制度が本格的にスタートした。
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