薄れゆく「日本人の心」は講談で学ぶとよい理由 現代社会に欠落したものが詰まっている

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講談は国立演芸場や新宿末廣亭などで聞くことができる(写真:うぃき/PIXTA)
講談師・6代目神田伯山氏の活躍によって、ブームが再燃している「講談」。前回は『人間国宝・神田松鯉が語る「講談と落語」の違い』、講談と落語の違いを解説しました。今回は講談自体の魅力について、人間国宝の大名人、神田松鯉氏の新著『人生を豊かにしたい人の講談』の中から一部を抜粋してお届けします。講談の世界に浸るヒントにしてみてください。

もともと、講談は「講釈」と呼ばれていました。「軍書講釈」といって、軍書を読みながら講釈することから「講釈師」と呼ばれていたのではないかと思います。ところが、明治以降「講談師」と呼ばれるようになりました。現在は「講談」が一般的です。

講談という言葉が広まってから、講談専門の寄席も一般的には「講談席」と呼ばれるようになりました。ただ、平成23年(2011年)に閉場した講談専門の寄席「本牧亭」は通の間では「講釈場」と呼ばれていましたから、つい近年まで「講釈」という言葉は残っていたんです。私は「講釈」という言葉が好きですから、今でも好んで「講釈」や「講釈師」を使っています。

講談の主人公はとても魅力的

私が思う講談の魅力は、「男の美学」にあると思います。とくに軍談から後世の世話物(義理や人情の葛藤を写実的に描いた作品)になると、主人公が大変魅力的です。弱い物はいじめない、長い物に巻かれない、人の窮地を見捨てない。確固たる自分を持っている。

その代表格は、都落ちする源義経一行が有名な安宅の関を越えるために一芝居を打ったという『勧進帳』でしょう。昔から大事にされていた「惻隠(そくいん)の情」という、相手の立場や気持ちを慮って行動する男たちの情けが描かれています。

義経を捕らえるために設けられた関所を何とか抜けるために、涙をこらえて主君である義経を打つ弁慶。その弁慶を信頼してすべてを委ねる義経の覚悟。相手の正体を知りつつも弁慶の忠義の心に打たれ、関所の通過を許す関守の富樫。敵対する関係にありながら、相手の気持ちを慮り、情けをかけて通行させる。美しい心情です。

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