日本に「ワサビ食文化」が定着した納得の理由

トウガラシよりも日本の食に浸透した背景

肥大した根茎をすりおろした薬味としての利用は江戸後期以降に一気に広がったことがわかっており、両者の広がりの違いは単純にトウガラシの導入時期がワサビよりも遅かったことによる、とはいえないだろう。

鄭大声は、『朝鮮食物誌』の中で、「なぜトウガラシが朝鮮の食生活には深く広く取り入れられながら、日本の食生活にはさほど取り入れられなかったのだろうか」という疑問に関して、「日本料理では獣肉類を用いる料理が少なく、香辛料の使用が歴史的にも乏しかったためからだろう」としており、シャーマンの説と一致する。

日本でトウガラシよりもワサビが食文化に浸透した背景には、日本で長く続いてきたコメと魚食文化と深い関係がありそうだ。

魚と相性のよい香辛料

肉の消費量が初めて魚を上回ったのはごく最近、2006年である。水産庁がまとめた世界の水産物消費でも、主要国で日本は1人当たりの食用魚介類消費量はつい最近まで1位であった。欧米人に食用の魚の名前をたずねると、10種類以上をあげられる人は少ないが、日本では20種類以上の魚種をあげることができるという。

日本は近代化の過程で確実に肉食スタイルを受容していったものの、その消費量は魚肉より少なく、実際は戦後長らく米と魚という食生活のスタイルが主流であった。

実はこの結果には、日本に長く根付いてきた肉食禁忌の思考がかかわっていると考えられる。魚食文化がここまで日本で定着した歴史的背景をみてみると、675年の天武天皇による殺生禁令(「牛馬犬猿鶏の宍(しし)を食うこと莫れ」)までさかのぼることができる。

以後も歴代にわたって畜類の殺生禁断、肉食禁止の布令が発せられた。国家が肉食を禁じたことで、やがて食肉という行為自体がけがれの一因とされ、肉が忌むべき食べ物とみなされるようになり、日本国民の精神に深く浸透してゆく。

675年の殺生禁令以来、日本人は最近まで、魚食が中心の食生活を送っていたことは間違いない。国家の選択がその後の日本の食文化を方向づける、歴史が食を変えた事例として、世界的にも特筆すべきであるといえるだろう。

こうして日本は、肉を排除した代わりに、重要な動物タンパク源として魚が注目を浴びるようになり、日本は一大魚食王国となった。つまり、国家レベルで魚への依存度が高くなったといえる。それゆえに魚の料理法の発達が顕著であり、刺身やすし、魚の天ぷらといった多様な食べ方が生み出されたのである。

こうしたなかでワサビは、魚食料理に辛味や香りや風味といった嗜好的加味を与えることができ重宝された。肉食に比べて淡泊な味わいの魚料理にアクセントを加味でき、変化を楽しむことができたことが大きかったのだろう。醤油との相性もよく、結果的に和食に欠かせない薬味としての地位を確立していった、というわけである。

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