織田信長「桶狭間」で奇跡の大逆転を果たした訳 「時と場合によって」のワンマンプレーが光った

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織田軍の勝因は、信長みずからが前に出て戦ったってとこでしょうが、ご覧のとおり、いろんなラッキーが重なったことも否めません(天候急変。今川の油断、テンパりなど)。

ただ、ここでお伝えした話も「こっちのほうが絶対正しい!」ってわけじゃないし、ホントのホントの勝因は……謎です。残された史料だけじゃわからない部分が多くて、諸説ありまくりなんです、この戦い。

お互いの兵の数も全然定かじゃないし、義元が布陣した「桶狭間山」という場所がどこなのかも、あいまいなんですね(愛知県の名古屋市緑区か、豊明市っていわれてます)。

さて、そんな諸説ありまくりの「桶狭間の戦い」ですが、この戦から現代の僕たちが学ぶべき点はどこでしょう?

人によって受け取り方はさまざまでしょうが、たぶん

「強いものにも立ち向かっていく勇気!」

「みんなの力を合わせれば、大逆転は起こせる!」

みてえな、表面上のペラペラな部分じゃないことは確かですよね(それも大切ですけど)。

個人的に、この戦いでいちばん見習うべき点は、

「信長のすげーワンマンな感じ」

だと思います。

家臣の意見をいちいち全部聞いていたとしたら…

今川との戦いに臨んだ信長は、家臣に何も伝えず、意見も聞きませんでした。でも、ギリギリ勝てたのは、そのやり方だったからこそです(数々の幸運があったとはいえ)。

仮の話になりますが、もし信長の中に「こうしよう」という明確なビジョンがあったとしても、割れに割れた家臣の意見をいちいち全部聞いていたら、勝てる見込みの少ない戦いが、絶対に勝てない戦いになっていたんじゃないでしょうか。

いつの世も、チームの“和”はとっても大事。

『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』(幻冬舎)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

だけど、全員の意見を大事にしすぎるチームは、方向が定まらず、1つも前進しないし、すぐに壊れます。

誤解を恐れまくりながら言わせていただくと、

「時と場合によっては、ワンマンプレイは大いに必要」

なんだと思います。

言い換えればそれは、「責任を伴った決断力」でもありますしね。

誰もが複数のチームやコミュニティーに所属してる今の時代(会社、学校、SNS上などなど)。リーダーであろうとなかろうと、そのチームの維持や発展を考えるなら、信長の姿を思い出してみるのもいいかもしれません。

ワンマンすぎると、それはそれで問題ですけど(以上、圧倒的個人的見解でした)。

房野 史典[ブロードキャスト!!] お笑い芸人
ぼうの ふみのり / Fuminori Bouno

1980年岡山県生まれ。お笑いコンビ・ブロードキャスト‼のツッコミ担当。無類の戦国武将好き。歴史芸人ユニット「六文ジャー」を結成し、歴史活動も盛ん。

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