ムスリマ(イスラム教徒女性)の衣装を法律で規制するべきか--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
法律と価値観の微妙なバランス
政府は法律を強制することはできるが、価値観を強制することはできない。他の民主国家では、フランスほど市民に“国家の価値観”を強制する傾向はない。
ただ、法律と社会の価値観を完全に切り離すことはできないことも確かだ。たとえば、ヨーロッパの一夫一婦制は法的かつ文化的な規範である。性的な差別、ジェンダーによる差別、人種的な差別に対する見方は、法律と同様に時代とともに変わり、法律にも反映されている。
一般的な見解と個人の自由の間には微妙なバランスがある。まだ同性愛は非難されているが、ヨーロッパで同性愛を法律で禁止しようと主張する人はいない。
個人の行動は他人に危害を及ぼさないかぎり許されるべきである。公的な職務を果たしている裁判官や教師、警察官が顔を覆うことは好ましくないだろう。しかし、ある種の職業にドレスコードを課すことはできる。誰も裁判官や教師が職場でビキニを着ている姿を見るのは好きではないだろう。
なぜブルカを禁止するのが好ましくないか、もう一つ現実的な理由がある。真剣に移民の受け入れを考えているのなら、移民ができるだけ自由に公的な場所に出掛けることを奨励すべきだからだ。ブルカを禁止することは、女性を家庭に強制的に閉じ込めることになり、外部の社会との交渉を今以上に男性に依存させることになる。
もし自由を抑制していると判断される慣行を禁止することができないとすれば、何をすべきなのだろか。何もしないほうがよいかもしれない。共有できない価値と共存することは、多角的な価値を持つ社会で暮らしていくために払わなければならない対価である。