北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生 日高本線は来年4月に廃線になることで合意

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大狩部駅付近の写真。北海道の鉄道事情は厳しい状況に立たされています(写真:筆者撮影)

JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。

日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。

日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。 

廃線にするのは惜しい日高本線

日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キロ当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。

鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740人だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。

2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。

しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。

〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉

〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉

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