勤務先でも自分の担当科以外の人には、がんになったことを極力隠そうとした。顔面マヒを隠すためにメガネとマスクもつねに手放せなかった。
「それまで看護師として、病気やケガをした方々をケアする側だった自分が、今度はケアされる側になってしまった。がんという弱みを抱えたことが、悔しかったですね。弱い人間になった気がしてショックだったんです」
柴田さんは術後わずか2週間ほどで職場復帰し、ケアする側として働いていた、にも関わらずだ。「弱い人間」という言葉は、看護師としての強いプロ意識の裏返しだろう。
「めっちゃ楽しいのに涙がこぼれた」理由
柴田さんががん体験を隠さなくなったのは2017年の春以降。その前年に耳下腺がんが再発して切除、再び治療していたころに、同病の仲間と知り会ったのがきっかけだ。実名のブログで病気についての情報発信を行っていた浜田勲さんだ。
彼女が大阪から上京した際、浜田さんらと会食。顔面神経のマヒのせいで食べこぼした失敗談で、お互いに「あるある〜!」と盛り上がった。耳下腺がんは患者数が少なく、同病の人と会うのは初めてだった。
「家族でさえも共有できなかった感情でした。めっちゃ楽しいなぁと思いながらも、なぜか涙がこぼれたんですね。そのときに初めて『ああ、私、ずっと孤独やったんや』って気づきました。同病の仲間ができて自分は1人じゃないと思えたら、心の底からホッとできたんです」
生涯忘れられない思い出がある。2017年の冬、がん仲間たちと東京ディズニーシーへ出かけ、その場のノリで、全員でハンバーガーにかぶりついてみようという話になった。口を大きく開けられない人たちが、だ。
「みんなで一斉に挑戦したら、なんと全員がガブッてかぶりつけたんです。食べる喜びは生きる力にもなるんだって体感した瞬間でした」(柴田さん)
以降、がん仲間たちのことを考えるだけで、心がうきうきしたと話した。
「当時中学生だった長男から、『ママ、がんになってからのほうが楽しそうだね』と言われたのも、とてもうれしかったですね。『がん=死』じゃない、プラスのイメージを息子に与えられたことが、です」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら