現在のマネー膨張は「インフレの芽」なのか 「貨幣数量説」がなぜ現実に当てはまらないのか

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今の局面のような異常なショックを受けた状況において、Vを一定とすることは正しいだろうか。上述したように、足元のマネー急増の小さくない部分は予備的動機に基づくマネーの抱え込みである。そうであれば、マネーの回転率であるVは低下が予想され、実際にそうなっていることが確認できる。

なお、ITバブル崩壊、9.11、リーマンショックなど、過去の強いショックを受けた局面でもVはやはり低下しており、かつ、その後にインフレが襲ってきたことはない。先に示した「MV=PY」に当てはめると、「Mが急増してもVが大きく低下するのであれば、Pが上昇することはない」という話になる。つまり、「インフレの芽」を懸念する必要はないということになる。危機的な状況だからこそ、マネーと物価の関係は貨幣数量説が想定するほど単純なものにはならない。

また、Vを一定としても、Mの増加自体がYを引き上げる、すなわち「貨幣の中立性」が成立しない世界を想定すれば、やはりPが上昇する必要はなくなるのである。この辺りは神学論争めいた域に入ってくるので今回は立ち入らない。いずにせよ、現在目の当たりにしているマネー増加が将来のインフレを約束するものではないと見るべきだと考える。

マネーが解放される展開もあるが…

もちろん、現在の景気後退局面は感染症に対するマインドのあり方ひとつで激変する可能性がある。ワクチンの開発や、ウイルスが弱毒化しているという研究結果などの前向きな材料を受けて、予備的動機とともに抱え込まれていたマネーが解放される可能性はある。

しかし、現時点ではまず「どうしてマネーが急増しているのか」を理論的に理解したうえで、合理的にありうる展開を探るべきだ。漠然と「マネーが増えたからインフレが怖い」はわかりやすいが、間違っていると思う。筆者はなりふり構わない裁量的なマクロ経済政策が金融資産価格の騰勢を招いている展開こそ警戒するものの、実体経済における一般物価の押し上げにはさほど懸念を持つべきではないと考えている。

そもそも、そのような懸念を持ったところで、新型コロナウイルスの完全終息が視野に入らないうちに現行のマクロ経済政策を修正することは現実的には不可能である。可能性の低そうな「インフレの芽」をはやし立てるよりも、今起きていることを冷静かつ適切に理解したい。

唐鎌 大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

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からかま・だいすけ / Daisuke Karakama

2004年慶応義塾大学経済学部卒。JETRO、日本経済研究センター、欧州委員会経済金融総局(ベルギー)を経て2008年よりみずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。著書に『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(日経BP社、2024年7月)、『「強い円」はどこへ行ったのか』(日経BP社、2022年9月)、『アフター・メルケル 「最強」の次にあるもの』(日経BP社、2021年12月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、2017年11月)、『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、2014年7月)、など。TV出演:テレビ東京『モーニングサテライト』など。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中。

※東洋経済オンラインのコラムはあくまでも筆者の見解であり、所属組織とは無関係です。

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