アウディ「Q3」をあえて選ぶ理由が乏しい理由 革新性を感じられないアウディに未来はあるか
デザインにおいても、今日多くの自動車メーカーが採り入れる“大きなグリル”という発想を2005年の「A6」で「シングルフレームグリル」という名で採り入れ、世界的な流行にした。しかし、その後アウディから何か新しいデザインの提案はないように感じる。
シングルフレームグリルは今もアウディの特徴として継承されているが、モデルチェンジをしても従来型と大きな差が感じられるモデルは少なく、新旧の区別もわかりにくくなっている。
約10年前、ドイツの自動車業界を牽引するかのような勢いのあるアウディの姿を見てきただけに、デザインの革新がない昨今のアウディ車は、性能や品質に優れていても“あえて選ぶ理由”を見つけにくいのだ。
それは数字にも表れており、日本国内では2013~2014年度におよそ3万台の新車販売を記録したが、2018年度には2万3000台にまで落ち込んだ。
今、アウディに必要なもの
何がアウディの勢いを盛り返すのか。それはやはり、「技術による先進」という企業メッセージの通り、EVによる自動運転を一刻も早く量産化へ持ち込むことだろう。その点、アウディはレベル3と呼ばれる運転支援技術を世界で最初に達成している。
ただし、一般公道を走行するための準備が、法的にも社会的にも整っていなかったため、実際には利用できない状況が続いた。技術は先端を求めたが、社会との調和を見誤ったと言える。
筆者は、レベル3の運転支援は実用化すべきでないとの立場にいる。レベル3はほぼ自動運転ながら、責任の所在はドライバーにあり、万一システムが解除されれば、ドライバーが回避行動を取らなければならない。急にシステムが解除されたとき、果たしてドライバーは適切な対処ができるだろうか。
そう考えると、日産「スカイライン」の「プロパイロット2.0」のように、レベル2で使える技術を磨き、市販し、多くの消費者に使ってもらったうえで、一気にレベル4へ移行していくのが現実的だと思うのだ。
今アウディに欠けているのは、「技術による先進」を貫くにしても、名目だけで先走るのではなく、社会との融和をはかりながら、その中で「やはり」と思わせる人間への技術の貢献を商品で示すことだろう。おそらく、新型Q3もQ3スポーツバックも、商品の良し悪しではなく、消費者に未来への期待を抱かせる造形や技術の貢献が見えにくいのだと思う。
「技術による先進」を実感し、体感できるアウディの新車の登場を期待する。
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