月末閉園「としまえん」を支えた豊島園駅の素顔 遊園地と高級住宅地が共存、独自の発展遂げる

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1980年、江木邸跡地は向山庭園として整備されて一般開放された。

豊島園駅の南西に広がる城南住宅組合が作成した環境宣言の看板。宣言文からも住環境を守る強い決意がうかがえる(筆者撮影)

このときに城南住宅組合は、不動産学の大家でもあった早稲田大学の篠塚昭次教授に助言をもらい、環境宣言を起草。宣言文がしたためられた看板は城南住宅内に掲げられて、今でも良質な住環境の維持に寄与している。

豊島園駅一帯の都市化・開発の波は、バブル崩壊で落ち着きを見せていく。さらに、西武池袋線の高架化事業や西武有楽町線の開業によって開発ターゲットが練馬駅一帯へとシフトしていたことも豊島園駅一帯の開発意欲を削いだ。

練馬駅の高架化工事は、豊島線の豊島園駅にも影響を及ぼした。1988年に練馬駅の高架化工事が始まると、豊島線は練馬駅―豊島園駅の1駅間を行き来する独立した路線になった。そのため、池袋駅―豊島駅間の直通列車の運転は休止となった。それが豊島園駅の利便性低下を招き、不動産事業者の熱を奪った。

跡地は「ハリポタ」に?

1991年には、都営12号線(大江戸線)の光が丘駅―練馬駅間が部分開業。豊島園駅も開設されて利便性は向上したが、練馬駅で乗り換えを余儀なくされることもあって豊島園駅周辺は盛り上がりを欠いた。

豊島線が分岐する練馬駅。近年は拠点性が高まっている(筆者撮影)

だが、1997年には都営12号線の練馬駅―新宿駅間が延伸開業。1998年に練馬駅の高架化事業も完了し、池袋駅―豊島園駅の直通運転が復活する。これにより豊島園駅の利便性が再認識されるようになり、駅周辺は再び宅地化の兆しを見せることになる。

豊島園駅のにぎわいを牽引してきたとしまえんは間もなく閉園する。だが、跡地は東京都が公園を整備し、一部は「ハリー・ポッター」のスタジオツアー施設開設が検討されている。駅周辺にはシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマとしまえん」、としまえんに併設された温浴施設「庭の湯」などがあり、今後も一定の利用者は見込める。

レジャー施設と住宅街という相反する2つの顔を抱えながら、豊島園駅は激動の1世紀を過ごしてきた。間もなく、としまえんは閉園する。それでも、豊島園駅は西武鉄道の重要な駅としての役割を担い続ける。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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