月末閉園「としまえん」を支えた豊島園駅の素顔 遊園地と高級住宅地が共存、独自の発展遂げる

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現在のとしまえんは、回転木馬のカルーセルエルドラドをはじめ遊園地らしいアトラクションが揃っている。過去にはジェットコースターのサイクロンといった機械遊具がちびっ子たちを魅了した。

開園当初の豊島園は体育と園芸をウリにする施設で、広大な園地には運動場と草花が植えられた温室が整備されていた。つまり、現在の遊園地からイメージできるような場所ではなく、公園と植物園が合体した施設といった趣が強かった。開園から3年後には、園内に養鶏場・芋掘場・イチゴ畑などが整備された。遊園地というより農場に近い存在だった。

昭和に入る頃、すでに東京都心部は農業や自然から縁の遠い環境になりつつあった。しかし、豊島園の一帯には石神井川をはじめとした豊かな自然が残り、都市化の波が押し寄せていなかった。郊外に立地していたことが都市化を免れた要因だが、園主・藤田の意向も起因している。

遊園地とともに田園都市も

藤田は豊島園を園芸の地として整備する傍ら、隣接する地に造成されていた住宅地の開発を金銭面で支援した。それが、依然として緑があふれる閑静な住宅街として残る城南住宅だ。現在、豊島園駅の目の前には広大なとしまえんが立地しているが、隣接する城南住宅は豊島園の開園より早い時期から造成を始めていた。

城南住宅は、1910年頃に山形県米沢市出身の小鷹利三郎が発案した。医師だった小鷹は、上京してから大和郷と呼ばれる高級住宅地に住居を構えた。大和郷は現在で言うところの文京区本駒込・豊島区駒込にあたるエリアで、江戸時代は大名屋敷が櫛比していた地でもある。

その屋敷地は明治期に三菱財閥の所有になり、創業一族の岩崎家が高級住宅街へと開発した。大和郷に居住していた小鷹は、急激に都市化していく大和郷に窮屈さを感じていた。そのため、自然が豊かな新天地を求めた。

そんな折、練馬駅の近くに武蔵高等学校が開学するとの情報を聞きつける。当時の練馬駅一帯は田んぼが広がるだけの農村だった。それが小鷹には自然豊かな地と映ったが、交通の便はお世辞にもいいとは言えなかった。高校が開学するなら、交通の便は向上するだろう。そう考えた小鷹は、城南住宅を理想の住宅地とした。

当時は郊外で住宅地開発が相次いでおり、その底流には田園都市が意識されていた。田園都市とは自然が多く残る郊外に家を構えるという考え方で、城南住宅もその潮流に乗っている。実際、当初の城南住宅は城南“田園”住宅と名付けられ、明らかに田園都市を意識していた。

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