ヘルパーが描く「介護漫画」が共感されまくる訳 現場で働く漫画家の彼女が人生で得た悟り

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しばらくは調子がいい時期が続いたが、4コマ雑誌の人気も落ち着き、徐々に雑誌の数も減っていった。そして勢いのある新人の漫画家も登場してきた。

「70ページくらい仕事をしていたのが、40ページくらいに減りました。生活ができなくなったわけではないですが不安になりました。

知り合いの漫画家もみんな

『40歳過ぎると仕事は減る一方だよ』

と言っていました。若手の漫画家に比べて、時流に乗れていないという自覚もあり、漫画が嫌いになったわけじゃないんですけど、雑誌内に居場所のなさを感じていました。

『ここらで漫画家はやめて、将来を見据えた仕事を探したほうがいいかもしれない』

と真剣に考えるようになりました」

60から65歳まで働くことを想定すると、やはり技術職のほうがいいだろうと思った。

漫画家を続けながら介護職の資格を取得

漫画家として活動しながら、介護職員初任者研修の資格を取得することにした。

介護職員初任者研修はかつて「ホームヘルパー2級」と呼ばれていた、介護の入門的な資格だ。介護者に必要な知識や技術などを学び、介護業務を行えるようにするのが目的だ。

「130時間の講義を受けなければいけませんでした。週1で通い、約3カ月で取得しました」

20人くらいの人たちと一緒に講義を受けた。老若男女入り交じっていたが、和気あいあいとしてとても居心地のいい時間だった。

「講義を受けながら、介護を目指している人って、優しい人が多いなと感じました。

周りに話を聞くと『最初は訪問介護がやりやすいよ』と勧められました。訪問介護では基本的に同じ人のお宅へ通って、介護をします」

もし落ちたら、落ちたでいいや、というくらいの気持ちで訪問介護の会社の面接を受けた。しかし介護はつねに人手不足なのもあって、面接当日に

「いつから来られますか?」

とすぐに仕事を振られた。

「親切な会社で、普通は1回同行するだけのところを3回も同行してもらいました。ベテランのヘルパーさんが付き添ってくれることもありました。ただそれでもおむつ交換と、半身不随の人をベッドからトイレに移動させる、というのが難しくてなかなか思うようにできませんでした」

吉田さんは大柄ではないので、被介護者の体重が60キロを超えていると、なかなか身体を支えきれなかった。

「1年間働いたんですけど、それでもどうしてもうまくできなくて、心が折れてしまいました。

『自信がないので辞めさせてください』

と告げて、訪問介護は辞めました」

当時は、訪問介護と同時に、障害者支援の仕事も始めていた。

障害のあるお子さんを、学校から家まで送り届けたり、親が面倒を見られない時間外で預かったりする、というのがメインの仕事だった。

「こちらは訪問介護と違い、子どもが相手ですから体力的にできないということはありませんでした。ただそれはそれなりに大変なことがありました」

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