小説家が明かす「一文が長すぎる文章」の問題点 「文書がクドい人」が知らないただ1つのコツ

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先ほどの例文は、「我々が提案するのは〜」というくだりから始まります。以降、文章が句点で一区切り付けられるまで、読者は、読んでいる間中ずっと「我々が提案するのは〜」という文言を、頭の中に置いておかなければなりません。ずっと備えておく必要があります。

一文中、つまり句点が置かれるまでは、「我々が提案するのは〜」という文言が、どこに係るか決定されないからです。

ほかの文言についても同様です。文が句点で区切られない以上、一度出てきた文言は、ほかの文言に係る可能性をずっと持ち続けます。なので、読者はそれをいつでも参照できるよう、頭のいちばん上の方に置いておかなければならない。

そして、文が長くなればなるほど、その置いておかなければならない文言が、どんどん積み上げられていきます。読んでいて疲れますし、最悪の場合、最初の方に出てきた文言を掘り出せなくなって、文章の意味が読みとれなくなります。

これが、一文が長い文章の、理解しにくさの正体です。読む側の脳に、高い負荷をかけてしまうわけですね。

なぜ理系は「一文が長い文章」を書くのか?

前節で挙げた例文は、わかりやすいように大げさに書きはしましたが、正直、あれくらいのものなら割とよく見ます。理系界隈において、そんなにめずらしいものではありません。

『理系のための文章教室』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

論文でも技術書でも、技術者のみで構成されるITベンチャーのコーポレートサイトでもよく見ます(筆者はIT企業で広報をやっている関係上、ちょくちょくそういったサイトに訪れる機会があります)。

または、スマホアプリのストア紹介文や、アプリ内説明文なんかでもありがちですね。開発者の方が書かれているんだろうな、なんて感じます。

なんならわたしも、デビュー当時、担当編集さんに「ここ、一文がちょっと長いです」と何度も指摘されました。苦い思い出で、ありがたいご指導でした。

一文が長い文章を、理系はかなり書きがちなのです。これはどうしてかというと、やはり、誤解しにくい文章を書こうという気持ちがあるからです。表現の不正確さを嫌っているのです。

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