SEの誕生には国鉄の鉄道技術研究所の支援があった。同研究所の振動の専門家である松平精と、空気抵抗と軽量化を研究した三木忠直はいずれも旧海軍航空技術廠の出身。両者はのちに新幹線0系の開発において重要な役割を果たすことになる。
このためSEには航空技術がふんだんに取り込まれた。車体は強度を保ちながら軽量化できるモノコック(張殻)とハニカム(蜂の巣)構造を採用。前面の流線型のデザインは、模型を使って繰り返し実施した風洞実験の成果を反映した。軽量化の反面、安定性を確保するため車体の重心を下げる工夫が凝らされた。
小田急の「伝統」となった連接台車
足回りは車両の連結部分の台車を設置した「連接台車」。乗り心地やカーブの通過、軽量化にメリットがあるとされ、のちに「小田急の伝統」ともいわれるようになった。車体は日本車輌製造と川崎車輛(現・川崎重工業)が担当した。駆動装置は東洋電機製造の「中空軸平行カルダン駆動方式」。近畿車輛がライセンス生産したスイスの「シュリーレン台車」と東京芝浦電機(東芝)製の制御装置は軽さを評価して採用した。
一方で、鉄道高速化の実現には安全面の新たな課題も出てきた。モーターが付いていない付随台車には日本の鉄道車両で初めてディスクブレーキを採用。ここにも航空機の技術が生かされているという。遠くからでも列車の接近がわかるように、前照灯に「上向き」「下向き」が切り替えられるシールドビーム、スピーカーからの音で知らせる補助警報機(ミュージックホーン)が取り付けられた。
小田急3000形SE
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流線形車体にオレンジとグレーの塗装が特徴の
3000形SE(記者撮影)
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風洞実験を経て生み出された流線形の前面
(記者撮影)
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鼻先に2つ並んだヘッドライト
(記者撮影)
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車体と車体の間に台車を配置した「連接台車」
(記者撮影)
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航空機の技術を生かし、従来の車両と比べて
大幅な軽量化を図った(記者撮影)
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スイスの技術を導入して近畿車輛が製造した
シュリーレン台車(記者撮影)
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床下の主抵抗器
(記者撮影)
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低重心で車体が低いため台車の上部は隠れている
(記者撮影)
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御殿場線乗り入れの「あさぎり」は
「連絡急行」と呼ばれる種別だった(記者撮影)
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ドアや窓はかつての旅客機を思わせるデザインだ
(記者撮影)
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車内に喫茶カウンターがある部分は小さな窓が並ぶ
(記者撮影)
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5両編成を2本連結した際に重複しないよう
使われたアルファベットの号車番号(記者撮影)
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「あさぎり」の行先表示「新宿―御殿場」
(記者撮影)
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シンプルな運転台
(記者撮影)
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計器類はアナログのメーターが並ぶ
(記者撮影)
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運転席もシンプルな構造だ
(記者撮影)
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車両間の通路上部は緩いアーチを描いている
(記者撮影)
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鉄道友の会「ブルーリボン賞」受賞の記念プレート
(記者撮影)
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ワインレッドのシートが並ぶ客室内
(記者撮影)
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上部がアーチ状になったドア。手動だった
(記者撮影)
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ドアはスライド式ではなく内開きだった
(記者撮影)
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車内の一角にあった喫茶カウンター
(記者撮影)
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重心を下げるため客室通路は連結部分より
低くなっている(記者撮影)
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窓側には折りたたみ式のテーブルがある
(記者撮影)
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折りたたみ式のテーブルはロマンスカーの
他車種でも見られた(記者撮影)
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窓の下には「せんぬき」が
(記者撮影)
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ひじ掛けには灰皿。車内喫煙が当たり前だった
時代の設備だ(記者撮影)
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ブルーリボン賞は3000形SEを
顕彰するために創設された(記者撮影)
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窓ガラスの形が飛行機を思わせる運転室内
(記者撮影)
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運転室内は広々としている
(記者撮影)
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SSEに改造された後の先頭デザインは
愛嬌ある表情になった(記者撮影)
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ヘッドマーク下の出っ張りには
連結器を格納している(記者撮影)
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