それに対して、これからは1人で孤独だけれど、オンラインで飲み会をすることで、離れていてもつながっている感覚を持つことができる。そういう「アローン・アンド・トゥゲザー」のような人間関係に変化していくんじゃないでしょうか。
精神的生活は本来の「三密」へ
――孤独でいること、1人でいることがデフォルトというのは、結構つらい気もするのですが。
世の中が三散の時代に入っていくと、精神的な生活は本来の「三密」になっていくかもしれません。前に言ったように、本来の「三密」とは仏教用語で、「身密」「口密」「意密」という密教の修行を意味する言葉です。手で印契を結び(身)、口でマントラを唱え(口)、瞑想して仏を念じる(意)。これが三密です。
三密修行は1人ですることが基本であるように、これからは学ぶにしても働くにしても個ですることが基本になる。でも個の学びや仕事を通じて、多くの人々の存在感や共同意識を養っていくのが、これからの時代の三密です。
例えば、オーケストラの人たちが大きなホールで指揮者のもとに集まり、練習を繰り返してコンサートを開くのではなくて、それぞれのパートがそれぞれの家で画面を見ながら、指揮者のもとでトレーニングをする。
それに従って、演奏形態もシンフォニーからコンチェルト、ソリストの時代に入ってくると思います。大きなオーケストラが成立したのは、産業的な要因が大きく関係しているんです。
もともと音楽家たちは、王様が食事をしている後ろで伴奏をするような役割でした。やがてプロモーターが登場して、お金をとって音楽を聴かせるという産業が起こってくる。そうすると、できるだけ多くの人を集めたくなる。多くの人を集めるには、ソロやコンチェルトでは迫力がない。当時はスピーカーや音響機器が発達してないから、大人数で集まって大迫力のある音を出すような交響曲が音楽家たちに求められるわけです。
でも、これから当分の間、大観客を入れるようなコンサートは難しくなります。そうなると今度は逆に、シンフォニーからコンチェルト、ソリストという少人数の演奏が中心になっていくでしょう。
――今までは当たり前だった集団的な活動が、とても難しくなっている。時間が経つうちにそれが定着していくわけですね。
家族の生活もそうなっていくでしょうね。お父さんもお母さんも子どもも家にいながら、それぞれ別のことをしている。でも今までより過ごす時間は長いから、個人的なことをしながら、共同生活が成り立つような関係をつくっていかなければならなくなります。これも「アローン・アンド・トゥゲザー」です。
――今までと比べると、どうしても寂しい時代をイメージしてしまいます。
それも慣れてくるものなんですよ。学校の先生が生徒の肩に手をおいて教えるようなことがなくなる。飲み屋にはアクリル板があって、人と人が隔てられている。今の感覚だと、寂しく思う人もいるでしょう。でも、じきに慣れて違和感がなくなると、寂しく思う感覚もなくなるものなんです(笑)。
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