だが、このころすでに、暖冬が市内に影を落としていた。2019年の年末は20cmほどの積雪があり、市民は「正月にしては雪が少ない」と安堵していた。しかし、雪が1m積もることも珍しくない1月に入っても、まとまった雪は降らず、雨まで混じった。
市民の安堵は不安に変わった。豪雪は市民を苦しめるが、除雪作業などによって地域経済が回る側面もある。何より、近年は雪を楽しむ外国人観光客も増えていた。2月上旬に寒波が入り、積雪が30cmほどに達したことがあったが、冬は足早に過ぎ去った。
そんな中でも、新幹線をめぐる新たな動きがあった。時速360kmでの営業運転を目指すJR東日本は2020年2月、試験車両「ALFA-X(アルファエックス)」を初めて北海道新幹線区間で運行させた。この時期、すでに新型コロナウイルスの影響が各地で深刻化していたが、青森県内はまだ感染者の報告がなかった。街中でも駅前でも、旅行者の姿を多少、見かけた時期だった。
やがて、事態は急転する。3月下旬、青森県内でも感染例が報告され、地域社会全体が厳戒態勢に入った。4月8日、青森市や青森商工会議所が構成する青森ねぶた祭実行委員会は、8月の祭りの中止を決定。半ば予期された事態とはいえ、市内には、足下も空気も揺らぐような衝撃が走った。
太平洋戦争中ですら開催された年があるほど、市民の暮らしに根ざした祭りだ。毎年この時期、青森港のベイエリアで建設工事が始まる「ねぶた小屋」の団地「ラッセ・ランド」は、作業の途中で解体された。
「何も残らないまち」
青森市内にはかつて、「連絡船とねぶたを取ったら何も残らないまち」という自嘲があった。大人たちがしばしば、そう口にする姿を見て、10代のころの筆者も「そうなのだろうか」と思いながら、それでも日々、青森港に出入りする連絡船や汽笛と、ねぶた囃子に親しんでいた。
裏返せば、それほどまでに深く強く、この祭りは市民の意識と日常に大きな比重を占めている。筆者が勤務する学校法人も毎年、祭りに出陣し、ねぶたをこよなく愛する学生たちが、真冬から囃子の練習を欠かさない。
間もなく、青函連絡船は姿を消し、この自嘲も聞かれなくなった。だが、青森市は今年、少なくとも戦後初めて、「連絡船も、ねぶたもない年」という試練に直面した。祭りという最大の心の支え、収入の柱を失った状態で、市内の飲食・宿泊・観光業界は、旅行者の激減や4月以降の営業自粛要請に対峙してきた。
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