今こそ「両利きの経営」が切実に問われる理由 ポストコロナのイノベーション論はこれだ

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イノベーションとは、「既存を破壊する創造物」なのであり、絶え間ない創造的破壊の営みが経済同様、企業の存続をも支えている。そしてその痛みを伴う永続的な困難さを見事に論じ切った『イノベーションのジレンマ』は、かくして経営論の金字塔となった。

つまり、イノベーション論は基本的に「変革」の必然性・必要性を説くものである。繰り返しになるが、ここが一般的なテクノロジー論やクリエーション論とは根本的に異なるところなのである。

クリステンセンの著作では、イノベーションの到来の不可避性とともに、それを企業内で持ちうるものなのか、あるいは持ちえずにライバルによって淘汰されざるをえないのかに関して、苦渋の論考の跡が見える。企業内で持ちうる可能性を全否定はしていないものの、少なくとも悲観的な見通しを述べている。

そのクリステンセンが残した宿題として、イノベーションの企業内実現の可能性を模索しているのが『両利きの経営』である。オライリーとタッシュマンは、実務的なアプローチのサーベイにより企業内での実現が可能な条件があるとし、それを「深化」(exploitation)と「探索」(exploration)の高次元での両立だと結論づける。

「深化」(既存の深掘り、改善)と「探索」(新結合のための試行錯誤)の両方が堪能なこと、つまりこれこそが「両利き」の経営であり、その必要性を本書で唱えている。

「両利きの経営」のパワーと難しさ

イノベーションには必然的に「探索」が必要になることはすぐにイメージができるだろう。そして、「深化」は企業の事業収益の屋台骨を支えるものだ。

「深化」だけを追求する企業はやがて限界を迎えてしまう。そこに「探索」が加われば、自社が限界を迎える前に存続可能性を高める選択肢を得やすくなる。企業総体としては両方があるべきだ、という「総論」はとくに経営者であれば納得しやすいものだろう。

しかし、「深化」チームにとっては、「探索」チームはいわば敵に見える。彼らは自分の事業を否定するために行動し、その行動には自らが稼いだリソースが使われるのだ。いくら「総論」で納得しているとしても、感情的な軋轢が生じやすい。その困難さから、クリステンセンは「探索」チームのスピンアウト(切り出し)をすべきという、いったんの結論を出すほどである。

しかし、オライリーとタッシュマンは、まだ諦めるべきでなく、さらにはその両立こそが企業の競争力と存続可能性を高める唯一の方法なのだと考える。原理的な困難さを乗り越える処方箋として、実務的研究家らしい具体的なものが多数挙げられている。

なかでも、組織論として見ると「イノベーションストリーム」、事業論としては「VSRプロセス」が興味深い。

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