コロナが試す「人間性のテスト」で問われること 「過去」に学び、「水平思考」で攻めていく

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まずは、自分自身の守りの姿勢として、気を緩めないことが必須だということ、大前提だということが実感できます。

「自粛に飽きた」「コロナ疲れ」などという言葉も聞きますし、感染者の少ないエリアに旅行に行く、レジャースポットや商業施設に人が集まるという事象も散見されますが、今気を緩めることは守りの壁を崩してしまうことにつながります。また、この後には以下のように続きがあります。

「ペスト患者になることはもちろん苦しいことだが、ペストになるまいとすることはもっと疲れることだ」

 

すでに多くの方が自粛によるストレスを感じ、疲れがたまり始めているでしょう。しかし、そのストレスを身近な人にぶつけたり、他者を非難することで解消しようとすることは内側から守りを崩す行為と言えます。疲れている中で他者をどれだけ思いやれるか、人間性のテストは範囲が広くかつ、深いものです。そして、医師であるリウーの言葉は私たちが持久戦でどうあるべきかを端的に示唆しています。

「これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。僕の場合には、自分の職務をはたすことだと心得ています」

 

医療現場の方々は今、まさに誠実さを持ってコロナに立ち向かってくださっていますし、製造・物流・小売り・社会インフラに携わるエッセンシャル・ワーカーの方たちの誠実さなくしてはステイ・ホームはなしえません。

もちろんそれ以外の職種は何もできないかと言えばそういうわけではなく、例えばミュージシャンが自宅での演奏を動画で公開するなどはそれぞれが自分の仕事において何ができるかを考えて誠実に行動している例でしょう。多くの方はこれで儲けようという気持ちではなく、「今、自分にできることをしよう」という気持ちで行動に移していると考えられます。

長期にわたり、気を緩めず、疲れている状況で誰も責めず、誠実に今できることをする。コロナに対する守りとはかくも難しいのかと少し気が遠くなりますが、これは人類として一致団結して取り組むべき壮大な試験問題だと認識すべきではないでしょうか。

攻め方は「未来」から考える

守りは過去に学んでみましたが、攻めはどうしたらよいでしょうか。ここでいう攻めとは直接コロナを打ち負かすということではありません。ワクチンや治療薬など直接的なコロナへの攻めは研究者や医療従事者にしかできませんが、それ以外の人は攻められないかと言えばそうではありません。コロナ時代のマイナスをプラスにしていくために何ができるかを、考えてみたいタイミングです。

私はコンサルタントとしてさまざまな思考法を研修や書籍でご紹介していますが、今の時代に攻めに転じるにはラテラルシンキング(水平思考)という思考法を使ってみるとよいと考えています。

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