「中学の入学式がつらい」行けなかった私の記憶 そして「3年間行かない」と親に宣言した

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状況を察して私の様子を見にきた母に、「行けない」と自分の口から伝える、それがあの日の私には精いっぱいでした。

私を責めることなく母が去ったあと、途方に暮れながら私はふと、部屋の窓から見える学校へと続く道に目を向けました。

すると、そこには中学校の制服を着て、家族といっしょに楽しそうに歩いていく同級生の姿がありました。

その光景を見た瞬間、どこかで張りつめていた糸が切れて、涙があふれて止まらなくなりました。

自分が情けない

あんなに心の準備をしたのに行けなかった自分への情けなさ、両親に娘の入学式を経験させてあげられなかった罪悪感、これから私はどうなるのかという不安。

あまりにたくさんの感情がよぎって、今思い返しても、どれくらいの時間泣き続けたのかわからないくらい、私は泣きました。

ひととおり泣いたあと、私のなかに残ったのは「中学校にも行けなかった自分」だけでした。同時に私は「私はもう中学校へは行けない」と悟りました。

「最後のチャンスだと思って、自分なりに必死に準備した。本気で行こうと思っていた。それでも、それなのに、私は今日、中学校へ行けなかった。もうこれは行けないことを受け入れるしかない」と感じたのです。

そして、私はその日のうちに、「中学校には3年間行けない、行かない。だから、あきらめてほしい」と両親に伝えました。

両親はしばらくの沈黙のあと「わかった」と一言だけ返してくれました。

あの日から、私は本当に1日も中学校へ行きませんでした。制服もつくらなかったし、卒業アルバムも持っていません。学校の外観すら知りません。

今思うと、中学校の入学式は私にとって勉強も人生もどうなるかわからなかったけど、「学校へ行かないで生きていく自分」への覚悟を決めた日だったのかもしれません。

学校へ本気で行こうとして、本当に行けなかった日。そんな日は後にも先にも、この日しかありませんでした。

今、私は27歳になりますが、あの日を、行けずに泣いた自分も含めておぼえていたいなと思っています。

(富良野しおん)

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