4年間「不登校の双子」が学童保育で掴んだ宝物 「双子の成長を支えた」ある女性指導員の尽力

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「この日を迎えられてよかった」。母のミユキさん(45)の顔は、晴れやかだった。

2年生の3学期、シン君の学校への行き渋りが始まり、そう間をおかずにケン君も行っては休むを繰り返すようになった。ミユキさんは10日間仕事を休んで、登校に付き添い、担任とも話し合いを重ねた。3年生に進級。5月末になると2人はほぼ不登校の状態になった。

仕事を休んでそばにいたかったが、勤務先にこれ以上負担はかけられない。「我慢して出勤」を続けるしかなかった。学校へ行けない原因を取り除いたら解決できるんじゃないか。そう思って子どもたちに尋ねても、「わからん」と答えるだけ。近しい人に相談すると、理解はしてくれるが一方で責められているようにも感じた。スクールカウンセラーとの面談にも出かけたが、形式的なアドバイスにしか聞こえず2回で通うのはやめた。

学校へ行かなくなるのと同時に学童への足も遠のいていたが、ミユキさんは25年以上のキャリアを持つ指導員のヤスコさんとは連絡を取り続けていた。

「せめて学童に行けたら、学校にも行けるようになるのではないかという期待もありました」

大阪市内にある学童保育所は保護者会が運営しているため、校外にある。それも幸いした。校内にある公設学童では、学校に登校していない子を受け入れにくいのだが、民営だからこそ柔軟に対応することができた。

双子のために尽力したヤスコさん

ヤスコさんは、2人との関係づくりからもう一度始めた。シン君もケン君もゲームが大好きなことから、ゲームの得意なアルバイト指導員が自宅を訪ねることにした。一緒に時間を共にすることで距離を縮めていった。

夏休みを迎えると、ケン君は学童にほぼ毎日登所。シン君もキャンプなどへ参加するうちに、学童に顔を出すようになった。夏休みが終わっても、放課後になると2人は学童に通い続けた。

ミユキさんの気持ちも変化していった。毎日ゲームばかりしている2人が心配だった。ゲーム機を取り上げ、出勤時にはバッグに入れて持っていくこともあった。すると、とりわけケン君が荒れる。何度もバトルを繰り返したがやがて、ありのままの子どもたちを受け止めようと決めた。勉強の遅れも気にはなったがミユキさんからは口にせず、学習面は夫に任せることにした。

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