超高齢化の島「網地島」はよみがえるか 震災で打撃を受けた離島で復興に向けた取り組みが進む
「このまま人口が減り続けると網小医院を維持できなくなる。医療がなければ人が住めなくなる。復興支援で島に関心を持ってくれる人が増えた今を逃せば、島の活性化は不可能になる」
「事業をおこし、人口を増やしていく必要がある」と考える小野さんが着目したのが、震災を機に島にやってきたボランティアによる活動だ。「彼らとの出会いをきっかけに、本気になって島おこしの勉強をし始めた」と小野さんは語る。
島の住民とともに、小野さんは島おこしを目的とする任意団体「ジョイフル網地島」を12年に立ち上げた。観光スポットの整備や食品加工場の建設、島暮らしを望む人向けの住宅の建設など、計画に盛り込まれた事業は多彩だ。
そのキャッチフレーズは「笑顔で暮らせる夢の島」。現在、NPO法人の認可を申請中で、実現すれば行政から助成を得る道も開けてくる。
全国に広がる支援の絆
網地島エーベを率いる阿部さんも小野さんに賛同し、ジョイフル網地島の理事に名を連ねた。両団体は連携して島おこしに取り組む。
小野さん曰(いわ)く、「阿部さんは島の実情を世の中に発信してくれる外務大臣のような存在」。実際、阿部さんを起点に多くのボランティアや支援者がつながっている。
昨年以来、網地島エーベの立ち上げに協力してきたチーム王冠は、津波被害を受けても避難所に入ることができなかった「在宅被災者」の支援を専門とする異色のボランティアグループだ。
「阿部さんと知り合うきっかけは11年夏。津波被害を受けた家屋での生活を余儀なくされている在宅被災者を訪ね歩く中で、阿部さんが行政区の副区長として住民への支援に奔走していた姿を目にした」(代表の伊藤さん)
もう一人のキーパーソンが、日本工科大学校(兵庫県姫路市)の内藤康男校長(65)だ。自動車整備の支援活動で生徒とともに石巻を訪ねた内藤さんは阿部さんと意気投合。その縁で、かつて教員を務めた兵庫県立東播工業高校の生徒三十数名が、網地島での公園整備に携わった。
内藤さんは、「阪神・淡路大震災から生まれた「『学ぶ技術でボランティア』という兵庫県独自の教育理念を、東北にもぜひ伝えたい」と力を込める。
震災で大きなハンデを背負った網地島だが、雄大な自然と島ならではのスローな暮らしぶりは健在。それらを生かした復興の取り組みがまさに始まろうとしている。そして、この復興への取り組みは高齢化と過疎に苦しむ多くの離島にとってのモデルにもなるかもしれない。
(週刊東洋経済2014年3月29日号<24日発売>核心リポート02を転載)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら