学級委員の彼が不登校になった「まさかの理由」 中高一貫の進学校に通う子が感じた負担
それに、完璧主義でもあった僕は「宿題はやるべきもの」「サボるのは悪いこと」という思いがあったので、自分で作り出したプレッシャーに苦しみました。
休めば休むほど、どんどん罪が重くなっていくようでした。
結局、それからは午後のみ登校するなどしていましたが、普通のクラスメイトと同じように学校生活を送ることはできないまま、中学校を卒業しました。
高校は、一貫校なので持ち上がりで進学しました。その際「高校はちゃんと行こう」と、気持ちを切り替えて春休みをすごしました。
朝、きちんと起きて、勉強もして、高校生活に備えていたんです。その結果、入学時のテストではトップクラスの成績をとることもできました。
しかし、高校1年生のゴールデンウイーク明け、僕はまた不登校になってしまったのです。
理由はまたもや宿題でした。高校では授業のレベルがさらに上がり、週末の大量の宿題に加えて、毎日の予習・復習が必要でした。
夜に勉強しても課題が終わらず、朝、学校に来てから仕上げの丸つけをするなど、なんとか、がんばっていたのですが、1カ月で限界になってしまいました。
この2度目の不登校は、まさにどん底に突き落とされたような気持ちになりました。しっかり学校に戻る準備をして、いいスタートを切れたはずが、またドロップアウトしてしまった。
「僕は本当にダメな、何もできない人間だ」と自分を責め、絶望していました。
――つらかったですね。
はい。何よりつらかったのは、「話す相手がいなかった」ということです。これまで、僕が一番信頼していたのは、学校のスクールカウンセラーでした。
しかし、学校へ行けないので、スクールカウンセラーと会うことはできません。誰にも話せないまま、ひたすら部屋にこもることしかできませんでした。
母親の覗き見が本当にイヤで
両親を信頼することもできませんでした。両親は僕が高校へ戻れるように、朝起こしに来たり、様子をうかがいに部屋に来ました。
特に母が洗濯物を干す際に、ベランダ越しにある僕の部屋をうかがうのが本当にイヤで、一時期は机や重いものでバリケードを作ったこともあります。
つらい気持ちを抱えていた僕は、思いの丈をすべて日記にぶつけることにしました。5月から11月ごろまで、ほぼ毎日、何度も書いていました。
それだけ苦しかったんだと思います。僕にとってはこの日記だけが自分の気持ちを正直に出せる場所でした。