ヤンキー主義の限界が露呈した”橋下発言” 精神科医・斎藤環×歴史学者・與那覇潤(3)
斎藤:きわめてプライベートなことを書きながら、なぜか、どの記事も同じように見えてしまうし、相手に対しては「いいね!」以外は求めていないという。最近は、不幸な近況に対して「いいね!」を押すのは違和感があるので、「共感!」ボタンをつくったほうがいいという話も出ているらしいですよ。非常にくだらない話で。
與那覇:二択になっても機能は同一のままであると(笑)。「いいね!」の原語は「Like」でしたか。アメリカの元祖ヤンキーによる発明が、もともとフェイク好きな日本版ヤンキーに受け入れられたという構図かもしれません。
斎藤:それも工夫しながら、ということですね。アメリカ産の流行を改造しモディファイして取り込む身振りも非常にヤンキー的と言えます。
與那覇:フェイスブックにせよツイッターにせよ、サイバースペースをヤンキー向けにモディファイすることで、日本でも成功したメディアといえそうですね。逆に、ネット時代の初期にはハイレベルなブログ論壇をつくろうとか言っていたのに、そっちはなくなった。要するに日本社会で求められるコミュニケーションは、言語以前の何かだったということだと思います。
たとえば授業で、アニメ作品の読みとき方を教えますよね。でもその作品がテレビでかかった時に、学生が解説として披露しようとしたら、一緒に見ていた親に怒られたというんですよ(笑)。作品に没入したい人にとって、それをさまたげる分析的、ないし切断的な言葉は邪魔なんですね。
斎藤:考えるのがダサいことだとされている面もあるんですよ。スクールカーストにも反映されていて、理屈を言うヤツ、考えるヤツは「キモイ」と言われ、カーストの「中」以下になってしまう。そういうところで求められるコミュニケーションスキルは何なのかといえば、ロジカルな能力ではないし、ディベート能力でもない。空気が読めるかどうか、笑いが取れるかどうかだけなんです。