最後に指摘したいのは、「上手さ」を「美味さ」に変える「巧さ」である。King Gnuの「戦略功者」としての側面についてだ。
King Gnuのインタビューを読んでわかるのは、「自分たち自身はJポップという場にいない、別の場からJポップを演じている」というスタンスである。彼らが表紙を飾った『AERA』(2/3号)のインタビューで、ボーカルの井口理はこう語る。
――「J−POPシーンに切り込む、じゃないですけど、そういう形のバンドなので、どういうアプローチで歌ったらいいのか、自分なりに前回より切り詰めて考えました。あくまで一例ですが、カラオケで玉置浩二さんや布施明さんの歌を歌ったり、僕を知っている人がいない場で、どれだけ心を掴めるか、常に本番ですから」――
この発言に垣間見えるのは、「玉置浩二さんや布施明」(!)など、邦楽(≒Jポップ)の王道的な歌い方を、「あえて」選択しているという彼らの意識である。
ここで思い出すのは、その井口理と常田大希の大先輩である、東京芸術大学音楽学部作曲科出身・坂本龍一に関するエピソードだ。
今や「世界のサカモト」=坂本龍一が世に知られるキッカケとなったのは、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとして、であり、そのYMOの最初期のヒットは、坂本作曲の『テクノポリス』(1979年)だった。
この『テクノポリス』は、「踊れる音楽で売れる曲を」というYMOのリーダー・細野晴臣の意向で坂本龍一が、ピンク・レディーの大ヒット曲を徹底的に分析して作ったものなのである。
テクニックに溺れず、「あえて」売れようとしていた初期YMO・坂本龍一の「巧さ」の幻影をKing Gnuに見るのは、53歳ながらマイクを持って、『白日』の息継ぎに苦しんだ私だけだろうか。
King Gnu解散の足音
そう言えばYMO(第1期)の活動期間はたった5年。常田大希は過去のインタビュー(2019年1月16日 CINRA.NET)で、「(アルバム)5枚目くらいで(バンドを)終わりにする」「ダサくなる前に終わらせる」と言っているという。ちなみにアルバム『CEREMONY』は3枚目となる。
たった5年間であっても、YMOは私の人生に決定的な影響を及ぼした。King Gnuというプロジェクトが万が一、白日夢のように消え去ったとしても、その「上手くて美味くて巧い」音楽性は、永遠に語られるものとなるだろう。
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