――改めて今、3.11を振り返ってみて、いかがでしたか。
3.11のときは仕事が早めに終わって、帰路の途中でした。あのときはマスメディアも、カメラが写しだした被災地の映像を流すか流さないか、これを流した瞬間にどうなるか、かなり腐心したと思うんですよ。
それはメディアが抱えている問題としてもそうだし、僕自身としても、これから表現をやっていくうえで、どういうふうになっていくのか。この経験が大きかったと思います。
――震災から9年経ったからこそできることもあるのではないでしょうか。
公共の電波でも、津波の映像を流す場合には「これから津波の映像が流れます」とテロップが流れるわけじゃないですか。確かにメンタルケアとしてそれが必要だと思いますし。それはメディアが判断することだと思います。そしてそれはエンターテインメントの商業映画としても、そういうことを後世に伝えるために考えないといけないことだと思います。
――肌感覚として、3.11の記憶が風化しているようにも思うのですが。
人間というのは、本当に素晴らしく。どんなことがあっても忘れることができるんですよね。だからつねにチャレンジして、そのハードルを越えていくことができる。ただ、そうした忘れるという素晴らしい才能を持つ反面、人間が忘れてはいけないこともつねにある。それが災害であり、戦争の爪あとですよ。それだけは忘れちゃいけないんだ、後世に伝えるんだということを、うまく具現化できればいいかなと思います。
「負の遺産」のままで終わらせてはいけない
――忘れてはいけないためにこの映画があるのだと。
何度も言いますが、やはり負の遺産を負の遺産のままで終わらせちゃいけないということですね。
例えば桜というのは、人間のために咲いているわけじゃないですよ。だけど人間は桜の花を見て、いろんなことを思うわけじゃないですか。そういうことだと思うんですよね。そうしたことがうまく自分たちの中でアレンジできれば、我々の爪あとも次の世代に対して遺産としてバトンを渡せるんじゃないかなと思います。
(文中一部敬称略)
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